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インタビューYASSさん
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  • 2016/11/14

「ストリートのカリスマ」と呼ばれるミュージシャン“YASS”。

2000年代にはテレビ番組「ストリートファイターズ」に出演して多くのアーティストを発掘してきた彼。

自身もアーティストであり、多くの駆け出しのアーティストを見てきた”YASS”氏に「BIG UP!」の可能性を伺った。

 

 

 --「BIG UP!」のサービスを率直にどう思われますか?

 

YASSどんなアーティストにもちゃんと売上配分がいくんですよね、素晴らしいと思います。「ストリートファイターズ」をやっていた頃に、最初「投げ銭」やってたんです。毎回ゲストを呼んで、頑張っている若いアーティストの映像見て、実際に自腹でゲストの方にお金入れていただいて。それが1,000円に満たなくて送料の方がかかっても「それはそれでリアルだし」と、そんなことをちょっと思い出しましたね。

 

 

 --現在では音楽における様々な垣根がなくなっているように思いますが、YASSさんが上京された時と今とで、圧倒的に差がなくなった理由は何だとお考えですか?

 

YASS圧倒的に差がなくなった理由…。それは多分レコーディング技術の発展と、インターネットが登場したことですね。レコーディングで言えば、俺が上京したころはテープでエンジニアがフェードアウトでもアナログでやっていましたから。今じゃ考えられないですよ(笑)

インターネットという点で行けば、広島と東京で距離を全然感じないし、ストリートファイターズを始めたときも、基本的に東京にひと旗揚げに出たい!って子が少なかったんです。既に地元にいながら全国に発信したりとかされていましたから。

 

 --「ストリートファイターズ」をされていた当時はインターネットが広がっていった時期と重なりますね。

 

YASS例えば”HY(エイチ ワイ)”も「沖縄から出る必要ないよ」と言っていましたね。東京に出る気がさらさら無かった。会った時は17歳だったんですけど、「沖縄が好きだ」と言っていて。「ここ(沖縄)にいたまま発信できる時代だ」と話していましたね。

 

 

 --「ストリートファイターズ」の後半に、SNSやYouTube、iTunesといったプラットフォームがここまで台頭する可能性は見えていましたか?

 

YASS見えていましたね。僕がデビューした当時は圧倒的にメジャーレコード会社が力があって、そこと折り合いをつけないと世の中に出れないという、割りと芸能界に近い感じ。CDはレコード会社でないと作れない、レコード会社でないとプレス出来ない、宣伝できないとかいう所からスタートしたわけです。

ご存知の通りに時代はどんどん変わっていって、「自分たちで発信出来るよう」となった時にCDも作れるし、部屋があれば動画を配信出来て、自分の意志で動けるようになった。

逆にCDは売れなくなったんですけど、アーティストからしたら「スゴく良い時代」というか、「権力を握った」と思います。

「ストリートファイターズ」の後半、2000年代の後半ですかね。その頃には「(事務所やレコード会社と)契約しなくても、今は十分やっていけるからいい」っていうアーティストが、一杯いたんです。「あーだ、こーだ」言われるよりいいねって(笑)

 

 

 --今ご自身が関わっている駆け出しのアーティスト達。彼らのマインドや行動をどう分析されていますか?

 

YASSとても現実主義で、「“夢みたいなこと”を言うと“(アイツは)現実離れしたことを言ってるよ!”と思われるんじゃないか?」とブレーキをかけるんですね、今の若い子は。

それが「かわいそうだな」と思っていて。俺らは「日本が世界1位」の時に育ったから、高度成長期を越えて業界に入った時もバブル真っ只中で、「ちょっとビルボード行っちゃう!?」って言っても誰も笑わない時代だったからね(笑)

今の子達は何か手に職を持ってとか、音楽やりながら副業を持ってとか、頭いいなって思うんです。

で、さらに本当にアーティストとして魂のある人達は「より多くの人達に聴いてもらうにはどうしたらいいのだろう?」という方向にどんどん変わっていくんだと思いますね。

 

 

 --渋谷公会堂でのライヴを手売りして開催されたYASSさんですが、当時はどのようにお売りになったのでしょうか?

 

YASSハチ公前行ったらまたあの歌聞いた。そんなリピート効果も狙ってたから、1日に5ステージやっていましたね。それで、最高1日98枚売れました。その時のドキュメンタリーが残ってるんですけど、ハチ公前に長蛇の列が出来ました。1枚2,500円のチケットで、トータル2,000枚が売れましたね。

僕が手売りをしていた時は当然SNSとかTwitterもないので、直接買ってもらって2ヶ月後に本当に来るんだろうかっていう気持ちでいっぱいでした。

まぁ、だからこそライヴへの想いは「この一瞬の時間に爪痕を残す」とか、鬼気迫るものがあったと思います。

 

 --YASSさんが今教えてらっしゃる方達もしくは巣立った人達は、ライヴをどういう認識で行っていると感じられますか?

 

YASS卵たちはまだまだですけど、実際僕がプロデュースしている子達は「ライヴの大事さ」というか、「ライヴで納得させられないと、やっていけない」と肌で感じているようです。

 

 

 -- SNSで楽曲や映像が拡散されたからといって、必ずしもライヴを見に来てくれるわけではないですよね。逆に地元のライヴは評価されるけど、ネットを活用していないアーティストもいるはずです。音楽業界で活動する目的を持った人達は、今後どのように動くべきだと思いますか?

 

YASSみんな、模索していますね。以前に「流田プロジェクト」というのバンドと一緒に色んなチャレンジをしました。彼らがアニメ主題歌の1回目のオンエアーを見て完コピ、その日の夜にロックアレンジにしてUPする。それをニコ動で配信したんです。

そしたら、400万回再生があって、アニメファンに「ロックもカッコいいね」と思わせる感じですね。流田プロジェクトはうまく動員につなげられて、お客さんも入って、楽しかったですね。

そういう成功事例というか、やり方もあるかなと思います。

 

 -- 5年後10年後、「BIG UP!」が音楽業界をどう変えてゆくと思われますか?

 

YASS僕が東京に出てきた80年代当時は、事務所に囲われていました。でも、これからはアーティスト自身が様々なビジネスも含めて選択して、やっていく時代になったと考えています。

そして、5年後10年後は、それがもっと顕著な時代になっていると思います。その時、「BIG UP!」はアーティストのパートナーとなってくれると思っていて、アーティスト自体、バンド自体のあり方が変わるんだと思いますね。

 

 

 --最後に、音楽業界の「これから」を担うアーティストへのメッセージを。

 

YASS音楽でお金を稼ぐこと。それを仕事にするとスゴい達成感と同時に、迷いも同時に出てきます。「数字にするのはどう」とか、芸術性とビジネス性の狭間にずっと立ち続けるんですけど、失ってほしくないのは「音楽をやろうと思った“動機”や“キッカケ”ですね。

涙が止まらなかったりとか、鳥肌が立ったりとか、何でもできるような気がしたとか、世界中変えられる気がしたとか。そういう衝撃を持ってギター持ったり、歌を歌ったり、音楽にのめり込むキッカケ・気持ちを忘れずにいてほしいということですかね。

それを忘れさせよう忘れさせようと何かがやってくるんですよ。そういう何かに迷った時は、当時の音楽を聴くなどして、その時の気持ちに立ち返ってほしいなと思います。すると、ブレずにシッカリと「BIG UP!」などを使いながら、いい音楽を作っていけるような気がしますね。

 

YASS

Vocal, Guitar, Composition,
Producing, Arrangement.

広島県広島市出身。
1990年、ロック・バンド"LORAN"のヴォーカルとしてファンハウスよりデビュー。
年間200本を超えるライヴやシングル12枚、ミニ・アルバム1枚、フル・アルバム5枚を
リリースするなど、精力的に展開しながらも、1995年、休止。
財津和夫氏のツアーバンドにコーラス&ギターで参加しながら(計4ツアー)、メジャー・レコード会社を離れた後もソロとして活動を継続。
ライヴハウスだけでなく、そのパフォーマンスの場を路上にも求め、持ち前のヴォーカル力、歌のメッセージが評判に。
手売りのみで赤坂BLITZ(1999年7月)、渋谷公会堂(2000年1月)でのワンマン・ライヴ・チケットを完売。

さらには、代々木野外音楽堂、及び、代々木公園内の3つのサブステージにて、全国のストリート・ミュージシャンが一堂に介するイベント、"YOYOGI HARD-FOLK JAMBOREE"(2000年3月)をプロデュース。
それぞれの公演はテレビを中心としたメディアにも大きく取り上げられ、大成功をおさめる。

"ストリートのカリスマ"として音楽業界内でも注目を集める中、2002年1月、音楽情報番組"THE STREET FIGHTERS"(テレビ朝日系全国24局ネット)を立ち上げ、ホスト役としてナビゲーターも務めた。(2011年12月終了。オンエアは500回を超えた)
全国のストリート・ミュージシャンの兄貴分的存在の役を担い、音楽プロデューサーとしてもその才能を発揮。数多くの楽曲、音源制作に携わる。
(番組からはHYやサスケをはじめ、多くのアーティストがメジャー・デビューを果たした。)

2002年、パリ音楽祭に日本のストリートミュージシャンの代表として参加。(レニー・クラビッツetc出演)

ライフワークでもあるピースパフォーマンス「愛を歌おう」 でFuji Rockに04、05と2年連続で出演。ストリートエリアのプロデュースも担当。

自身のプロデュースイベント「歌族会議」など、ライブ活動も精力的に行う。


2006年12月、11年ぶりのフルアルバムをリリースし、LORANが復活!その後 コンスタントに活動。
オリジナルメンバーでデビュー25周年を迎えた。

現在、YASSソロ、LORAN、そしてギタリストとしての相島一之&The Blues Jumpersと、今もライブシーンの真っ只中で生きながら、多くのアーティストプロデュースも手掛けている。