マカロニえんぴつのはっとりが語るバンドと音楽にかける思い

インタビュー

『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第4回目はマカロニえんぴつのはっとりが登場。

グッドメロディーのルーツ

ーマカロニえんぴつの楽曲はまずメロディの良さが魅力だと思うんですけど、良いメロディが生まれるのに影響を与えたものってなんだと思いますか?

色々な雑誌で影響を受けたアーティストはユニコーンって言い続けて来ているんですけど、でもこの間母親に会ったら「本当のルーツはユニコーンじゃないんじゃない?」と言われて。

ーお母さんがそう言うということはもっと原体験的なところですか?

僕が通ってた保育園は子供の感性を尊重してくれていて、歌を歌う時間が毎日あったり、みんな外で遊んでいる時に僕が1人で絵を描いていても「外で遊びなよ」とか言わないし、1人1人の個性を広げてくれるようなところだったんです。

ーすごくいい環境だったんですね。

その保育園でトラや帽子店って言うケロポンズの人が元メンバーだったバンドの歌をよく歌ってたんですよ。彼らは子供向けのオリジナルソングをだしていて、保育園でコンサートを見に行ったりしていて。だからトラや帽子店の音楽にすごく馴染みがあったんです。

ー好きな曲とかありましたか?

「虹」って歌と「この指とまれ」っていう歌がすごく好きなんですけど、とにかく歌詞がいいのとグッドメロディーで。子供にもちゃんと哲学的なことを投げかけてくれている詩なんですよね。中学生になったときに懐かしくなって改めて歌詞カードを見たんですけど、すごく深いことを言っているなって時を超えて感動したのを覚えてます。

ーではそこに根本的な音楽のルーツがあるわけですね。

母親には「あなた多分あの経験かなり大きいと思うよ」って言われて思い出したんですよね。親父も元々バンドをやっていた影響でロックだったり、クラシックだったり、音楽は常に家に流れていたし、音楽にハマるのには最適な環境だったとは思うんですけど、やっぱ歌を好きになったきっかけはその保育園とトラや帽子店が歌うことの楽しさを教えてくれた経験が大きい気がしますね。

やりたい音楽を求めて

ーお父さんはどういうバンドをやっていたんですか?

ハードロック・ヘビーメタルバンドのボーカルをやっていました。大学の学園祭の映像を見せてもらったことがあるんですけど、パッツパッツのレギンス履いて、いわゆるハードロックの格好で、ハンドマイクですごい高音シャウトしたりしててすごく男前でしたよ(笑)。
親父になってからもバンドをやっていたんですけど、僕が高校時代に自分のバンドと並行しながら、親父のバンドでギターを弾いてたんです。

ーすごく仲の良い親子ですね!

でも父親とバンドやっているなんてやっぱり恥ずかしくて、いつも自分が使ってたスタジオで練習する時とか、よくしてもらってたアルバイトのお兄さんと顔合わせるのも気まずかったです(笑)。

ー自分でやっていたのはどういうバンドなんですか?

自分のバンドではDOESと9mm Parabellum Bulletを混ぜたようなオリジナルの曲をやっていました。やっぱその親父の影響でヘビーなリフから始まる曲が多かった気がしますね。今のマカロニえんぴつからは想像できないような暗い感じの曲が多かったです。

ー高校時代からオリジナルでやってたんですね。

高校時代はバンド活動に明け暮れてましたね。そのバンドで売れると思ってましたから。高校生イベントは毎回満員になるし、毎月やっていたライブもいつも満員でので当時は人気者でしたね。田舎は遊ぶ場所がないからみんなライブハウスに来るんですよ。大学いくタイミングでそのバンドは解散しちゃいましたけど。

ーはっとりさんは音大に進学したんですよね。音大に行くことは早くから決めていたんですか?

いや、ギリギリまで決まっていなかったです。勉強はまったくできなかったし、フリーターになると思ってたんですけど、親は大学くらい行っといたほうがいいだろって。うちの親父は家がお金なくて音大に行くのを諦めた人だったので、その夢を息子に託してくれたみたいでロックをやれる音大を見つけてきてくれたんです。「金のことは気にするな、その代わり売れろよ」と言ってくれて…。

ー素晴らしいお父さんですね。では実際進学してみて環境とかはどうでしか?

そこに何があるかを求めて入ってくる人が多いと思うんですけど、やりたいことがない人は辞めてましたね。俺はこの大学でメンバーを見つけてバンド組んで、あんな暗い音楽じゃなくてもっと明るい音楽やろうと意気込んでました。そこで出会ったのがマカロニえんぴつのメンバーです。

ー明るい音楽をやりたいっていう憧れはあったんですか?

やっぱり高校時代からユニコーンや奥田民生さんを始め、くるり、エレファントカシマシとかが好きで本当はそっちをやりたかったんです。でも他のメンバーの好みもあるし、バンドで曲を作っていたので全面的に自分のやりたいことを通すということはできなくて。

ーではようやく自分の好きな音楽をやれるようになったんですね。

高校時代から奥田民生さんのような歌物っぽい曲は趣味で作ってたんで、マカロニえんぴつの原型的なものはその頃からあったんですよ。メンバーには最初にそれを聴かせてました。

大切な事に気づくことで変わった流れ

ー今年は『バズリズム』の「これはバズるぞ!2019」にランクインしたりとすごい名前も聞くようになりましたが、勝負の年だなっていう感覚はありますか?

周りには言われますね、「今年は勝負だ」とか「大事な時期だね」とか。

ー実感的にはどうですか?

その通りだと思います。でも、リリースするたびに「期待のニューカマー」って言われ続けてて、「売れそうで売れないバンド」ってすごく言われてましたけどね。

ー今年は今までとは違うと感じている理由はどんなところにあるんでしょうか?

「売れそうで売れないね」って言われていた2、3年前はメンバーが同じ方向を向いていなかったんです。それが変わったのはドラムの脱退で一度「なんでバンドやってるんだ」っていうことに立ち返る機会があったり、レーベルの移籍も大きかったと思います。
「なんでライブやっているんだ」「誰にむかって歌っているんだ」っていうのが分かったのは最近なんです。みんな音楽を“届ける”っていうじゃないですか。面と向かって音楽で会話をしているっていう漠然とした意識はあったんですけど、本当の意味で会話なんだって分かってなかったんですよ、MCも嫌いだったし。だから売れそうで売れなかったんだと思います。

ーバンドとしての結束が強まった感じですね。

あんまり「俺はこう思う」とか意見をいう奴らじゃないんですけど、すごく俺の背中を見てるし、伝えたいことを汲み取ろうととしてくれるし、素晴らしいバンドだと思ってます。『CHOSYOKU』や「レモンパイ」もそうだし、今回の『LiKE』なんか特に同じ方向にむかえてる、よりバンドとしての熱が高い状態で出したものだから、「今年が大事な時期なんです」って初めて胸を張って言える年かもしれないです。

ー色んなアーティストからもプッシュされていますよね。

「マカロニえんぴついいバンドだよ」っていうのをあいみょんやaikoさんが言ってくださったり、尾崎世界観さんもライブに呼んでくれたりしてすごく嬉しかったですね。尾崎さんなんて実際にお話しできるなんて思ってなかったから。
最初のMVの時に「あいつクリープハイプの歌い方モノマネしてる」とか金髪のマッシュだったから「色違い尾崎でてきた」とか散々言われて。でも本当に好きだったし、すごい憧れの人だったからそう言われる事にむかついてたんですよ、図星だったから。

ー実際に尾崎さんに会ってどうでした?

一言でいえば“いい人”。怖い人なのかなって思っていたんですけど、こんな知名度もまったくないようなバンドを呼んでくれて、「いいバンドだ。なんなら悔しいとすら思う」とまで言ってくれて。

ーそこから交流が続いてるんですか?

そうですね。今まで“よくしてくれる先輩”みたいな人っていなかったんです。尾崎さんに初めてそういう風にしてもらって、いい音楽つくる人っていい人なんだなって思いました。飯も毎回奢ってくれるし、どんだけ酔っ払っていてもタクシー代まで渡してくれて、次の日「酔っ払ってていくら渡したか覚えてないけど、タクシー代足りてた?」って電話くれて「もっと多めに渡せばよかった。次からは気をつける、本当ごめん」って謝ってくれるんです。どうなってんだこの人はって思いましたよ。

ーめちゃめちゃ良い先輩ですね。

だから最近は自分も後輩の前でかっこつけて、いい先輩ぶってます(笑)。慕われる先輩になりたいなって単純に思ったし、自分の周りにいるミュージシャンはかっこいい人が多くて。今のレーベルに移籍して、sumikaやSUPER BEAVERのような、喋る言葉も嘘がない、飾ってないかっこいい先輩にもたくさん出会えたし。そういう色々な人からの影響が自分を変えてくれたんだと思います。

ー今まで一人でバンドを引っ張っていたところから、頼たりできる環境がどんどんできていったんですね。

そこに気づけたのがよかったですね。2,3年前の自分だったら出会いやチャンスのバトンを見落としていたと思います。
それには脱退したドラムが去り際に言った「そのやり方をしていたら多分メンバーもついて来なくなると思うよ」って言葉が大きかったですね。その時ハッっとなったんです。横暴なやり方をしていたなって。自分が曲を作ってるし、歌ってるし、アレンジも一人でやってたから、“俺が一番偉い”って他のメンバーをコマのような感覚でバンドをやってて、図に乗っていたと思うんです。「売れるためにはこのくらいメンバーにきつく言わないとダメだ」「音楽は楽しいとはいえど、売れる売れないの勝負の世界だから楽しい瞬間はない」って決めつけてたし。

ーその一言は大きいですね。

バンドとして1番大事なのはお客さんだけど、その1個前にメンバーだなって思って向き合い方も変えました。ソロじゃなくてロックバンドやる以上はメンバーの存在が大事なんだってことに気付くまでに1年以上かかりましたけどね。俺がこうやって気づくまで他のメンバーはよくついてきてくれたなって思ってます。途中でやめてもおかしくなかったのに、あんなの。

ーソロでやろうとは思わなかったんですか?

ユニコーンに憧れたからですかね。奥田民生さんに最初に憧れたらギターを買ってソロでやってたかもしれないけど、ユニコーンってバンドに憧れてたから死んでもバンドをやりたいなって。大学在学中も散々「ソロの方がいいんじゃない?」って言われてました。でも、言われれば言われる程「じゃあバンドやろう」ってより一層思いました。悔しかったし、自分が気にしていることでもあったんですよ、「もしかしたらソロの方が…」って。でも、俺はソロではダメだったと思うんですよね。

ーそれはどうしてですか?

精神的に頼りたいんですよ。全部1人って相当しんどいだろうなと思いますね。楽曲制作もアレンジしながら予期せぬ方向には進みづらいし。今はスタジオでみんなで曲のアレンジをしているんですけど、俺だったら弾かないようなことを弾いたりするし、俺だったらこうするのにって気に食わない事もあるんです。でも時間を置いて、録音したデモを聴くと「いいじゃん」って思ったりする。バンドにはそういう楽しみがありますね。

ーそういういいバンドの雰囲気の中でこれからはどんな曲を作っていきたいですか?

マカロニえんぴつというバンドが許されてきている事で、なにやってもいいんだなっていうことに気づかせてもらえたので、そういう状況だったらなんでもやらなきゃだめだなって思います。幅の広さを売りにしていくならもっと色々なジャンルに挑戦したい。広く浅くなんでもやっていくのがこのバンドにはしっくりくるんじゃないかなと思ってます。

ーアルバムもすごい色々な要素が詰まってますよね、洋楽ぽかったりJ-POPぽかったり。

「ブルーベリーナイツ」とか90年代っぽい懐かしい感じがするってよく言われますね。

ーでも色々な要素がある中でメロディーでガシッとまとめている感じがします。

そうですね、やっぱりグッドメロディーっていうのは外せないです。

いいと思うものに素直でいたい

ーでは勢いに乗る今年はどんな活動をしていきたいですか?

またツアーが始まるんですけど、それが終わった頃には色んなことが変わってると思うんです。バンドのテンションやモチベーションもそうだし、バンドとしての質も良くなると思うし。だからツアーを始まる前からどうしたいっていうよりも、ツアーを経てLIQUIDROOMていう最大キャパを終えたあとにバンドがどうなっているのかっていうのが今は楽しみで。

ーツアーで新曲を聴くのも楽しみです。

アルバムを出したとはいえ、ツアーで演奏して曲が育っていくと思うので、早くライブをやりたいですね。

ー楽曲制作の方はどうですか?

制作もしてるんですけど、最近は「こういうものが今求められているんだろうな」っていうをだんだん感じてるんですよね。「レモンパイ」「ブルーベリーナイツ」からの流れとか。でもあんまり期待されていることを考えず、バンドがやりたいこととか、自分が今はまっている音楽に素直になりたいです。だからこそ色々な曲を聴いて、色々な曲に影響されてる時間をとるべきだなと思っています。

ー今はどういう音楽にはまっているんですか?

最近はサブスクで検索して出会うことが多いんですけど、Breakbotっていう海外のダンサブルなエレクトロのアーティストがよかったですね。

ー影響を受けるのは洋楽が多いですか?

ビビッとくるのは洋楽が多いです。こういう打ち込み系のサウンドもやってみたいんですよね。あとはネクライトーキーの「夏の雷鳴」って曲に最近かなり感動しまして。
YouTubeにあがっているリード曲といい意味で違って、しっとりしたローテンポのバラードで、ちょっと悔しかったですね。詩がいいし、メロディーもよくてアレンジもシンプルでよかったです。よく聴いてます。

ーそういう刺激がまた新しい曲に繋がっていくんですね。

色々な刺激を受けて悔しいと思いながら、自分が感動したものに素直でいたいです。

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