DinoJr.が見出したストリーミングの可能性。コロナ禍を経て、自身の心境の変化を語る
インタビュー
『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第39回目はDinoJr.が登場。
台湾人の父親のイングリッシュ・ネームを由来とする印象的なアーティスト名と、ブラック・ミュージックをルーツとするグルーヴィな音楽性、そしてそれを日本語を軸としたポップスに落とし込んだ楽曲で注目を集めるDinoJr.。その手腕は“ 新鋭”といった言葉が似つかわしくないほどにウェルメイドだ。
2ndアルバム『2091』を今年1月にリリースして以降も「Hello Strange」、「Magic Hour」と立て続けに新曲を発表しているDinoJr.にインタビューを敢行。コロナ禍中のリアルな本音と、音楽家としてこれからの時代を走り抜く秘訣を訊いた。
コロナ禍で感じたやるせなさ、悲しさを糧に生まれた「Hello Strange」
―このコロナ禍以降の動きについて教えて下さい。外出自粛期間中はどのような活動を行っていましたか?
外出自粛に伴いインプットも減って、中々オリジナル曲が作れなくなりました。そんな中、星野源さんの「うちで踊ろう」が流行った時、映像表現のおもしろさに気づいて。僕も真似しようと思ったのですが、他の人がやっていないことをやりたいなと。考えた結果、全部自分の声だけで有名な曲をカバーした映像をUPしたりしました。
そしたら意外と反響もあって。普段通りに活動していたら中々届かなかった人たちにもアプローチできた手応えを感じました。ある意味、自分の活動を見直すきっかけにはなったかなと思います。SNSの使い方だったり、自分のことを知らない人に届けるためにはどうすればいいのかなど、改めて考えるようになりましたね。
ーなるほど。
中でも、カバーさせてもらったアーティストさんご本人が反応してくれることもあって。まさに今の時代ならではですよね。元々、コロナ禍が起きる前から、ライブ・メインでの活動に対する疑問もあって。昔は小さいライブハウスで徐々に知名度を高めていくっていうのが当たり前だったと思うんですけど、今はネットで注目を集めてから、満を持しての初ライブっていうパターンも珍しくないですよね。そういった今日的な構造の一端を垣間見れたような気もします。
ーこのような状況下において、ポジティブな発見もできたと。
はい。でも、もちろん最初はずっとモヤモヤしていました。というのも、このパンデミックって、ある日突然起こったわけではなく、緩やかに、徐々に影響が出始めましたよね。現実は予告もなしにこんなにも変わるのかって感じで、中々受け入れることができなった記憶があります。でも、現実的にはライブもなくなって、外出も自粛せざるを得ない状況になった。すごく不透明でわからないことばかりの中で、音楽シーンは世の中のガス抜きじゃないけど、槍玉に挙げられたような気がしましたし。
ー科学的にもまだ解明 されていないことが多いし、 国からの発表も曖昧 。それ ぞれの意識にも 大きな ズレ があり、世の中的にすごく嫌な空気が流れていましたよね。
3月頭に僕、BREIMEN、Kroiの3マン・ツアーがあったんですけど、開催の判断がすごく難しいタイミングで。色々な準備もしていたので、僕らは決行という判断を選択したんですけど、やはり批判の声もあって。メンバーも傷ついていました。周りのミュージシャンとも「これからどうしていこうか」っていう話をよくしていましたし、みんな不安を抱えていましたね。
特に僕が仲良くしているミュージシャンって、セッションや色々なアーティストのライブ・サポート、あとはレッスンなどで生計を立てている人が多くて。経済的なダメージも大きいと思います。
ー7月にリリースされた「Hello Strange」は、まさしく今おっしゃっていたようなことがリリックとなった曲ですよね。昨今の新 型コロナウイルスによって社会 での 居場所“を失ってしまったミュージシャンを”Strange=変わり者”と例え、それでも臆さず表現を続けていくという。
東京都に緊急事態宣言が発令されていた時、無観客配信などで関係者がライブハウスに行っていただけで「自粛してください」という張り紙が張られるっていう出来事を目にした時、怒りもあるんですけど、それと同時にすごく悲しい気持ちになって。もちろんミュージシャン、音楽関係者も最大限注意を払わなければいけないとは思うのですが、あまりにも世間の理解のなさに、やるせなさを感じました。
ーリリックにはそういったフラストレーションが表現されていますが、それを軽快かつポップなトラックに乗せ、 エンターテインメントに昇華しているのがお見事だなと。
やっぱりライブで披露した時のことを考えてしまって、曲調は自然とああいう感じなりました。ただ、ポップで明るいサウンドに、100%ポジティブなリリックを乗せるのは、自分はやらなくてもいいかなって思っている部分があって。元々根暗な側面もあるので、自分の作品には明るいけどふとした時に憂いが感じられるとか、そういう曲が昔から多いんです。ある意味ブルースとリンクするというか。日々辛いことがあるけど、それでも生きていこうぜっていう。そういうメッセージは無意識に出ていることが多いかもしれません。
ー制作は外出自粛期間だったこともあり、ミックス/マスタリング以外は全てご自身で手がけたそうですね。こういった作り方は初めての試みですか?
はい。人に会えなかったので、全ての楽器演奏、アレンジ、プログラミングを自分で手がけて、自宅で完結しています。実は2ndアルバム『2091』に収録した「YAWN ft. MC SCARF」も同じような作り方で完成させているんですけど、それは結果的にそうなっただけで。というのも、最初はバンドでレコーディングしたんですけど、どうもしっくりこなくて。ただ、僕はインディペンデントで活動しているのであまり予算もなく、レコーディングし直すのは難しい。ということで、苦戦しながらも自分でいちから作り直したんです。
なので、最初からひとりで作り上げることを念頭に置き、プロセスを頭に思い浮かべた状態で制作に臨む。そういった方法は「Hello Strange」が初めてでした。今後のことを考えると、自分でできることはどんどん増やしていきたいと思うので、こういった作り方はすごくいい修行になります。
ー大変だけど、得るものは多そうですね。
そうですね。元々僕はセッションにもよく参加していたんですけど、そういったところで凄腕のミュージシャンをたくさん観ていて。彼らのようなミュージシャンにお願いすれば一瞬で終わるような作業を、自分で何時間もかけて行う。それは確かに苦行なんですけど、やっぱり自分の頭の中で鳴っている音を再現するのは、自分が一番上手いはずで。苦労して自分だけで完成させた作品は本当に誇りに思える仕上がりになるんですよね。
“バグっている ”感覚を取り入れていきたい
ーそういった制作プロセスの影響も含め、コロナ禍以降、自分の作品の方 向性などは変わってきましたか?
変わってきたと思います。2ndアルバム『2091』は”100年経っても楽しめる音”をコンセプトにした作品なのですが、その”未来の音”という要素を最近ではより強く意識するようになりました。それこそLouis ColeとかThundercat、Jacob Collierといった僕が強く影響を受けているアーティストって、新しい作品をリリースする度に聴いたこともないような音、僕の知らない音が入っていて、すごく刺激的なんですよね。言い方が正しいかはわからないんですけど、ある種の ”バグ” が入っているというか。僕もそういった “バグっている”感覚を取り入れていきたいなと思っています。
ーそれってすごくバランス感覚が大事な話ですよね。
そうですね。ポップさは絶対に残していきたいポイントなので。どうしたらバグを心地よい違和感として聴かせられるかということを意識しています。2016年に発表した1stアルバム『DINOSENCE』は、音的にはあまそういう違和感的な要素はなかったと思うんですけど、コード進行などは「斬新だね」って言われることがあって。それは単純に自分が理論などをわかっていない状態で、カッコいい、美しいと思えるものを直感的に作っていたからなんです。なので、もしかしたら元からそういう ”バグ” 、”違和感” のような要素は前からあったのかもしれません。でも、それに自覚的になれたのは新しい発見ですね。
ーそういう ”バグ”、”違和感”というのは、DinoJr.さんが敬愛するPrinceやD’angeloなどにも当てはまる話かもしれませんね。
確かに。そうかもしれません。
ー現在の自身のスタイルに大きな影響を与えているブラック・ミュージックとの出会いは、高校生の頃だったそうですね。それ以前は日本のロック・バンドなどを聴いていたと。
はい。中学生くらいまでは周りのみんなと同じように、BUMP OF CHICKEN、Mr.Children、ポルノグラフィティなどを聴いていました。ただ、ずっと勉強やスポーツなど、色々な面で自分が劣っているという自覚があって。自然と競争を避けるようになり、代わりにみんなとは違うことをしたいという思いが芽生えてきたんです。そういうタイミングでブラック・ミュージックに出会いました。これまで聴いたことがなかったカッコよさがあったし、まだその当時は日本のポップ・シーンやバンド・シーンでそういう要素を強く出したバンド、アーティストが目立っていなかったというのもあり、積極的にディグっていくようになりました。
ー当時はどのような方法でディグっていたのでしょうか。
主にYouTubeですね。ネットで色々と聴いてみて、気になったものはCD屋さんで買うというスタイルでした。
ーなるほど。音楽活動のスタートは弾き語りだったそうですが、それも本意ではなかったようですね。
バンド・メンバーを探したんですけど、自分の周りには興味持ってくれる人がいなくて。それでも何かしらの形で音楽はやりたかったので、ひとりで弾き語りでやっていくことになりました。でも、当時ってまだブラック・ミュージックと弾き語りのスタイルが結びついていなくて。弾き語りスタイルで活動していくと、いわゆる ”ザ・シンガー・ソングライター”的なアーティストさんたちが出るイベントにブッキングされることが多かったんです。結構孤独な状態で活動を続けていましたね。
ー今DinoJr.さんが仲良くされているミュージシャンたちとの出会いというのは?
しばらく活動した後、22歳くらいの時に、初めてセッションに誘われて。そこで初めてブラック・ミュージックを主軸としているシーンと繋がることができたんです。それからはその界隈に入り浸りましたね。
ーセッションにはボーカルで参加されていたのでしょうか。
そうですね。ずっと歌に自身を持ってきたので、「どんなもんじゃい!」っていう気持ちで参加したんですけど、最初は全然通用しなくて(笑)。その後は足繁く通うようになりました。多い時だと週に4回くらい行っている時もあって。その中で、様々な知識を教えてもらったり、ブラック・ミュージックを文字通り体で覚えることができました。BREIMENなどはセッションで繋がることができた面々ですね。
ー1stアルバム『DINOSENCE』に参加されているShingo Suzukiさん、Kan Sano“さん、 田中Tak”拓也さんなどもそういったところからの流れで?
はい。『2091』に参加してくれたメンバーも大体セッションを通じて繋がった方たちですね。King Gnuの勢喜遊くんなんかもしょっちゅう顔を合わせていました。
ーシンガー然としている『DINOSENCE』と、 様々なジャンルを横断する華やかな『2091』の間には4年ものスパンが空きました。この期間は、DinoJr.さんにとってどのような時間だったのでしょう?
『DINOSENCE』発表後、少しスランプのような状態に陥ってしまって。「自分らしさとは何か」っていう部分で悩んで。そのスランプを脱するのに4年使ったと言っても過言ではありません。その期間に『2091』を作り始めて、最初は「果たしてこれでいいのか?」って疑心暗鬼になりながら制作していたので、おそらく1曲につき500回ずつくらい聴き直していると思います(笑)。
発表する前は不安も大きくて、「これでキャリア終わるかもしれないな」って考えるぐらいだったんですけど、実際発表したら評判が良くて。ラジオでもかけてもらったりして、「これで良かったんだ」って思いました。しかも『2091』は前作以上に自分が大部分を手掛けた作品なので、かなり自信に繋がりましたね。
「ストリーミングに未来を感じた」 今日的なインディ・スタイル
ー8月19日には先月発表の「Hello Strange」に続く新曲「Magic Hour」がリリースされます。この2ヶ月連続リリースは予てより計画していたのでしょうか?
そうですね。何ていうか、今って4年前とはガラリと環境が変わってしまったなと思っていて。というのも、『DINOSENCE』を発表した時は、CDショップで展開してくれたところもあったのですが、『2091』は周りからの評判が良かったのにも関わらず、全く展開してもらえなかったんですね。逆にストリーミング・サービスではプレゼンやプロモーションもしていないのにプレイリストなどで取り上げてもらえたり、バナーで展開してもらえて。ストリーミングに未来を感じました。
ーなるほど。
なので、一旦デジタル限定でシングルをコンスタントに出してみて、様子を伺ってからEPやアルバムに移行しようと思って。ある意味、今は実験段階なんです。
ー『2091』はWEBでの露出も前作以上に多かったように感じます。
1stも2ndも、完全に自主で動いているのには変わりないのですが、1stの時は自分でメディアにプレスリリースを打つこともせず、本当にリリースしただけっていう感じで。そこでの反省点を活かして、この4年間で他のアーティストさんがリリース前後どのようなプロモーション活動をしているのかっていうことを勉強しました。
ー「Magic Hour」は「Hello Strange」とは少し異なり、リリックにもポジティブな雰囲気が感じられます。
はい。これはお気楽な曲ですね。というのも、実はこの曲はかなり前から原型があったので、リリックもその時の感情がメインになっています。夏に明るい曲を出したいなという気持ちと、先程も名前を挙げたLouis ColeやThundercatのような、西海岸、カリフォルニア感にトライしたかったというのも大きいです。今後はそういった方向性の作品を出したいと思っているので、その布石にもなるかなと。
ーシンセの音色などが特徴的で、これもさっきお話していた ”バグ”であったり、 ”心地よい違和感”に繋がるのかなと思いました。
そうですね。冒頭も音楽理論的にはありえないコード進行になっていて。違和感が残るように敢えてそうしました。この曲はベースにBREIMENの高木祥太くんが参加してくれたんですけど、サビに入ると思いっきりベースがもたって聴こえるにしたのも、そういった狙いがあってのことですね。一口目は「何じゃこりゃ?」ってなっても、何度も咀嚼していくうちに美味しさがわかってくるような、そんな作品を目指しました。
ー今後はしばらくシングルの発表を続けていく予定でしょうか。
まだ具体的にお話できる段階ではないのですが、少しずつ小出しに作品を発表していきたいなとは思っています。年内にEPやアルバムをリリースできればなと。今後はもっと積極的にコラボをしていきたいですね。海外のアーティストのように1曲に何名ものミュージシャンが参加しているような感じで、より柔軟にコラボしていけたらなと。僕はソロなので、フットワークも軽く動けると思いますし。あとはライブ活動もぼちぼち再開していきたいですね。
ー活動スタイルに関してもお聞きしたいです。今の時代、レーベルや マネージメントが必要かどうか、新人ミュージシャンにとっては悩ましいところでもあると思います。DinoJr.さんはこれまで完全インディペンデントで進んできていますが、その道のりを 振り返って みるとどう感じますか?
僕は基本的にずっと消去法で道を選んできていて。勉強も運動も得意じゃなかったから、歌を選んだ。バンドが組めなかったから、弾き語りになった。なので、本心を言えばレーベルなりマネージメントなり、お願いできるならお願いしたかったんです。最初は音楽以外の作業が苦痛で、「何でこんなことやらなくちゃいけないんだろう」って思っていました。ただ、消去法で選んだとは言え、進んだ先で必ず良い体験が待っていて。中々予定通りにはいかないけど、自分なりにおもしろい方向に進んでいるなと思っています。
ー大変だけど、その分魅力やおもしろさもあると。
はい。それに、他者に任せている部分があると、その人がいなくなった時にどうするの?っていう風にも思ってしまいます。そういう意味で、自分でやれることの範囲を広げておくのは、音楽家にとってはプラスになるんじゃないかなと思います。
今はSNSもありますし、レーベルにデモテープなどを送るような時代でもないのかなと。もちろんこれは、デモテープを送っても反応が貰えなかった僕の負け惜しみも含んでいますが(笑)。ただ、SNSやネットを使えば、これまでのレーベルがやってきたこと以上のプロモーションができる可能性もある。もしどこかからお声がけ頂いて、お互いの条件やフィーリングが一致すれば、一緒にやるかもしれないですけど、基本的に今後もこれまで通りひとりで活動するつもりです。
EVENT INFORMATION
SPENSR New E.P. “MOIST FUTURE” Release Party
2020.9.17(木)
at clubasia
OPEN&START 18:30
ADV ¥2000 / DOOR ¥2500 (+1D)
SPENSR/DinoJr./all about paradise/JUDGEMAN/斎藤 雄
詳細・予約はこちら
Presented by.DIGLE MAGAZINE