一度も会わずに結成されたLHRHND。遠く離れた2人が作り上げた1stアルバム制作背景

インタビュー

『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第65回目はLHRHNDが登場。

シンガー/ラッパーのPhoenix Troyとビートメイカー/プロデューサーのggoyleからなるユニット、LHRHNDがセルフ・タイトルの1stアルバムを10月6日にリリースした。

ロンドン・ヒースロー空港と、日本の羽田空港の空港コードから名前を取ったLHRHNDは、Nenashi、maco marets、SUSHIBOYS、関口シンゴら豪華アーティストとのコラボ曲を今年5月より連続リリース。スーツケースをモチーフとした、統一感のある気の利いたアートワークと、絶妙にレイドバックしたビートを軸とした、スムースかつメロウなヒップホップ〜R&Bトラックでジワジワと認知と支持を拡大させていった。

今回はそんなLHRHNDのトラック担当、ggoyleにインタビューを敢行。自身のルーツからユニット結成の経緯まで、様々な話題を語ってもらった。

Pharrell Williams、ダンス、DJ――ggoyleのルーツ

―まずはggoyleさんのルーツから教えて下さい。そもそも音楽に興味を持ったのはいつ頃、何がきっかけだったのでしょうか。

一番最初でいうと、僕と同世代の方ならよくあるパターンだと思うのですが、RIP SLYMEやDragon Ashといったヒップホップの要素を持っているけど、ヒット・チャートにも入っているようなアーティストに魅了されて。その後、中学3年生くらいの頃に、テレビ神奈川で放送されているビルボードチャートを紹介する番組でPharrell Williamsを知って。そこからどんどんUSのヒップホップやR&Bに傾倒していったという感じです。
高校生以降はPharrellが在籍していたグループだったり、彼がプロデュースした作品やアーティストを掘っていったり、彼を起点に聴く音楽の幅を広げていきました。ただ、高校時代は柔道部で、音楽は好きだけど聴くだけでした。

―では、音楽活動は大学以降?

はい。大学に進学して、ヒップホップ・カルチャーの要素のひとつでもあるブレイク・ダンスを始めました。ダンス・サークルに入って、ダンス・イベントにも顔を出すようになると、そこには必ずDJがいて。そうやって身近で見ているうちに、自分でもやってみたいと思い、大学2年のうちにDJもやるようになりました。その時点でも、まだ楽曲制作はハードルが高いというか、どこか特別な人がやる行為だと感じていて、手を出すという考えには至らなかったです。音源制作やビートメイクに興味を持ったのは、そういったことを行っている人と繋がり始めた2016年頃からですね。

―Pharrell Williamsを知って以降、テレビ番組以外にはどのような方法で音楽をディグっていたのでしょうか。

主にネットですね。ちょうどYouTubeも出てきた頃だったと記憶しています。ただ、同時にレンタル・ショップでもたくさんCDを借りていました。

―ggoyleさんからみたPharrell Williamsの魅力というのは?

Pharrell単独というよりはThe Neptunes(Pharrell WilliamsとChad Hugoからなるプロデューサー・ユニット)の話になりますが、音楽的に心地よい、ソウルフルなコード進行や音使いと、他の人はあまり使わないような奇妙な音の組み合わせかなと。僕はあまり歌詞まで読み解くタイプではないので、主にサウンド面で魅了されました。

―DJ/ビートメイカーとしては早い段階から〈Chilly Source〉界隈と繋がっていましたよね。

実は〈Chilly Source〉創設メンバーのDJ AKITOさんがダンス・サークルの先輩で。実際によく話すようになったのは社会人になってからなのですが、同じくらいのタイミングで〈Chilly Source〉も始動したので、イベントに出させてもらったり、コンピに曲を提供させてもらう機会を頂きました。あとはダンス・コミュニティの中で知り合ったFKDくんからも日々刺激をもらっています。

―楽曲制作はどういったところからスタートしたのでしょうか。

特に楽器が弾けるわけでもないので、最初から今に至るまで一貫してPC完結というスタイルで行っています。始めたての頃はサンプリング主体で行っていたのですが、そのうちにPharrellの影響もあって自分で打ち込むようにもなりました。ヒップホップ的なサンプリング・カルチャーに対する愛も変わらず持っているので、今でもそういう作り方をするときもよくあります。権利的に正式リリースできないものはSoundCloudにこっそりUPしたりして楽しんでいます。

LHRHND=お互いの距離を表現する名前

―では、LHRHNDがスタートした経緯についても教えて下さい。

相方のPhoenix Troyが細々と活動していた僕のSoundCloudを見つけてくれて、連絡をくれたんです。「何か一緒にやらないか」と。彼は日本に住んでいたこともあって、日本のアーティスト――それこそ〈origami PRODUCTIONS〉さんとも繋がりがあったし、何よりも僕と違って積極的な性格なんです。それこそmaco maretsくんに自らコンタクトを取ったり、きっと僕一人だったらなかなか繋がれなかったようなアーティストとも共作することができた。彼との出会いは僕の音楽活動のなかでも大きなターニング・ポイントだと思います。
自身の活動や作品について、あまり派手に告知したりすることは苦手だったのですが、彼は「聴いてもらえなきゃ意味がないよね」という感じで、そういった面もすごく能動的で。僕も影響を受けていると思います。

―連絡をもらってから、すぐにコラボ・プロジェクトが始動したのでしょうか。

2019年頃だったと思うんですけど、当時、僕は仕事の都合でタイに住んでいて。一方、彼はロンドン在住なので、最初はゆっくりとした交流でした。1ヶ月に1回メールのやり取りするくらいのペースで、1年に1〜2曲できたかできないかくらいの感じでしたね。3〜4曲くらい形になってきた段階で、このプロジェクトを本格的に始動させたいねっていう話になりました。
お互いに一度も会わないままユニットを結成したので、何かお互いの距離を表現する名前にしたいねという話から、LHRHNDという名前に決まって。その当時、実際に僕が住んでいたのはタイのバンコクなんですけど(笑)。

―Phoenix Troyさんとの音楽的な接点、共通点は感じますか?

後から知ったんですけど、彼もPharrellのことは大好きで。あとはここ数年の西海岸の新興アーティストたち、それこそ〈Soulection〉周辺だったりも共通して好きですね。彼らもPharrellやThe Neptunesから大きな影響を受けているでしょうし。あとはもうちょっとダンス・ミュージック寄りですけど、フランスのFKJや彼が率いる〈ROCHE MUSIQUE〉辺りも、2人のリンクするポイントだと思います。

―Phoenix Troyさんは昔、Phoenix and the Flower Girl名義でフューチャー・ベースのシーンにも接近していましたよね。

ですね。そこは僕とは異なる点で。もちろんフューチャー・ベースで好きな曲もあるのですが、僕はそこまで詳しくなくて。そういう意味では、彼の方がバックグラウンドは広いと思います。

―お2人のなかで手応えを感じた瞬間、作品はありましたか?

Phoenix Troyがどう思ってるかはちょっとわからないんですけど、個人的には先ほども名前を出したmaco maretsくんとの「bedicine」ができたときに、この曲はちゃんとリリースしたいと思うようになりました。

―では、ggoyleさんがmaco maretsさんの楽曲を手がけるのよりも先に、LHRHNDでコラボしていたんですね。

はい。LHRHNDの方がだいぶ先です。このプロジェクトで繋がって、maco maretsくんの作品にも参加させてもらえることになりました。リリースの順番は逆になってしまいましたが。
今回のアルバムの楽曲自体は2020年の年末か年明けくらいには全て完成していて。そこから春にかけてマスタリングなどの仕上げを行いつつ、この作品をどうやって発表していくかを考えていきました。Phoenix TroyはまだしもLHRHNDとしては全くの無名ですし、せっかく豪華なアーティストさんとコラボすることができたので、ちゃんと聴いてもらえるために工夫しなければなと。

―それで毎月リリースに繋がったと。maco maretsさん以外のゲスト陣についてもPhoenix Troyさんが?

基本的には彼が舵を切って、全て彼が連絡してくれました。

良く言えば寛容的、悪く言えば大雑把。自然体で作り上げた1stアルバム

―制作プロセスについても教えて下さい。データのやり取りの中で、曲の歌詞やタイトルなどはどのようにして固めていくのでしょうか。

僕らの場合、お互いの得意分野を活かした分業制になっていて。トラックを僕が投げて、Phoenix Troyが歌詞の内容やテーマを考えるという感じで。タイトルは一緒に考えています。お互い波長が合うので、あまり揉めることはないですね。彼のフロウや歌い方も好きですし、おそらく向こうも同じように思ってくれていると思います。

―波長が合ったからこそ、ユニットとして始動するに至ったんですもんね。そこは当然というか。

そう。なので、全体的に伸び伸びと自由に作ったんですよね。アルバムの構想とかを考えていたわけではなく、曲ができてきたので、アルバムとしてパッケージングしたというか。

―個人的な感想としては、どこかメロウで物寂しげ。歌詞の内容もそういった感情を想起させるものが多いと思いました。コロナ禍前から制作はスタートしているとはいえ、すごく今の状況にもしっくりくる作品だなと。

コロナ禍の影響は少なからずあると思います、特に楽曲のテーマや歌詞に関しては。あとはフルリモートで制作していることも関係があるかもしれないですね。僕らはコロナ禍になる前から会うことが難しい距離感でコミュニケーションを取っているので、もちろん楽しんで制作していますが、そういった要素も影響しているかもしれません。
あとは純粋に僕の趣味趣向も大きいと思います。ここ最近はもっぱらメロウなR&Bばかり聴いていて。自然体で作っているので、そういった部分がより濃く出てしまうんだと思います。

―ゲスト・アーティストへのディレクションやイメージ共有はどのような感じで?

それも同じく自然体というか。良く言えば寛容的、悪く言えば大雑把。返ってきたものが僕らのイメージと全然違ったこともありませんでしたし、あまり根詰めることなく自由に参加してもらいました。

―新録曲について、いくつかお聞きしたいです。まずはセルフ・タイトルとなる「LHRHND」について。これは一番最初にできた曲、もしくは最も自分たちを表している曲だったり?

後者ですね。名前に空港コードを使用していることもあって、旅行をテーマにした曲を作ることにしました。空港のアナウンスをイメージしたナレーションを取り入れていたり、アルバムはしっとりしたな曲が多かったので、ちょっと明る目の曲も入れたくて。後者ですね。名前に空港コードを使用していることもあって、旅行をテーマにした曲を作ることにしました。空港のアナウンスをイメージしたナレーションを取り入れていたり、アルバムはしっとりしたな曲が多かったので、ちょっと明る目の曲も入れたくて。

―Frascoの峰らるさんを迎えた「walk」は、幻想的な音使いも印象的なナンバーです。

この曲も実は最初期に作った曲で。Phoenix Troyに歌を乗っけてもらった段階でどこか物足りなさをお互い感じてしまって。それを打破するために、女性ボーカルを迎えようということになりました。峰らるさんもPhoenix Troyが連絡してくれました。

―9曲目の「in the cold」はほぼビートレスな作品で、ギターの音色が牽引していって、終盤はストリングスも入ってきて終わる。アルバムの中でも特徴的な楽曲になっていると思います。

作っていくうちにビートを抜いた方がいいなって思うようになって。それこそ物哀しいというか、哀愁漂う感じというか。ここにアタック感の強いビートなどが入ってくると、どうしても全体の雰囲気を壊してしまうなと。ストリングスに関してはPhoenix Troyのアイディアで。「最後にストリングスを入れたら絶対によくなる」って言ってくれて、知り合いに頼んだのか、ストリングスをレコーディングしてデータを送ってきてくれて。基本的にトラックは全部僕が作ってるんですけど、このストリングスだけは例外です。

―アルバムの最後に位置する「echo chamber」はギターの音色やボイス・サンプルが耳を引く、ドリーミーなトラップ寄りのトラックですよね。

制作中に、この曲でアルバムを締めくくるといい感じだなっていうのが2人のなかで見えてきて。曲自体もループ主体のトラックなので、かなりスピーディに仕上げられた曲ですね。

生活と音楽の関係性

―これまでのお話で、今作は自然体で何かを狙うことなく作った作品なんだということがわかりました。こういった姿勢は、ggoyleさんの音楽に対する向き合い方そのものなような気もします。

確かにそうですね。今でもメインの仕事がありますし、生活がかかっていないというのはいい方向に作用しているかもしれません。音楽を作り始めたときは仕事を辞めた方が時間も取れるし、覚悟ができるんじゃないかって思ったこともあるんです。でも、きっとそうやって生活がかかってくると、クリエイティビティにも悪影響をもたらしそうな気がしていて。楽しく音楽制作ができているので、今の自分にはたぶんこのスタイルが合っているんでしょうね。
もちろん、プレッシャーがないとはいえ、今後は試行錯誤を重ねて、緻密な構成を考えてみたり、特定のサウンドに焦点をしぼって作ってみたり、自分のできることの幅を広げたいと思っています。

―今後の音楽活動についてはどのように考えていますか?

LHRHNDは1stアルバムを出して終わりというわけではないので、もちろん新しい曲を作っていきたいですし、以前、関口シンゴさんを迎えてIGTVで公開したパフォーマンス映像も、新たにUPしていきたいですね。

Phoenix Troyは来年あたり、コロナ禍が落ち着いていたら日本に来てライブ・パフォーマンスをしたいと言っていて。僕も同感なのですが、ただ僕自身ダンスやDJの経験はあってもライブはまだやったことがないので、どうなるんだろうという気持ちもあります。とはいえ、現状は作品リリースだけで、本当に実在しているかどうかもわからないような存在だと思うので、ライブが実現したらこのユニットにとっても大きな意義があるんじゃないかなと。
また、並行して自分のソロ・プロジェクトの方でも積極的に動いていきたいです。それこそ先にコンセプトを決めたり、ゲスト・アーティストありきで、そこに向けて楽曲を制作してみたり。そういったことにも挑戦してみたいですね。

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