シンガーソングライター・AYANEが紡ぐ、誰かの気持ちを代弁する言葉
インタビュー
『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第95回目はAYANE登場。
圧倒的な歌唱力と自由度の高いパフォーマンスとともに、飾り気のないポジティブなメッセージを届ける20歳のシンガーソングライター・AYANE。言葉にできない日々の感情を代弁し、寄り添ってくれるような歌詞が若い世代の共感を呼び、着実にファンを増やしている。
SNSの総再生回数が1億回を突破し、2022年にリリースした「泣きたい夜」や「bye bye」もバイラルヒット中の彼女だが、「音楽で伝えたいものは何か」と葛藤した時期もあったという。そういった苦悩が、現在の共感性の高い楽曲作りに繋がっているのかもしれない。
そんな彼女が2023年1月2日に最新曲「2023」をリリース。思わず口ずさんでしまうような軽快なサウンドにAYANEらしい前向きなメッセージを乗せつつ、1歩ずつでも確実に前進していこうという決意も感じられる楽曲となっている。
楽曲制作の際、AYANEは作品にどんな思いを込めているのだろうか? インタビューでは、両親の影響で音楽漬けの生活を送ってきたという彼女の幼少期についてや曲作りに対する姿勢、新曲「2023」の制作背景について語ってもらった。
両親の影響を強く受けた、音楽漬けの幼少期
ーAYANEさんが音楽に興味を持ったきっかけを聞かせてください。
もともと、両親がよく音楽を聴いていたんです。その影響もあって私も音楽が好きになり、まずダンスを始めて、小学1年生から歌のレッスンにも通うようになりました。
ー歌を始めたきっかけは?
両親が絢香さんの歌をよく聴いていて、一緒にライブ映像とかを観ながら「こんなふうにステージで歌いたいな」って思ったんです。小学生の頃から絢香さんをお手本に、歌い方とか身振りの感じとかを勉強してました。
ーほかにはどんな音楽に影響を受けましたか?
中学のとき、友達に誘われて観に行ったONE OK ROCKさんのライブに衝撃を受けました。心を掴まれるという感覚が初めてわかったというか。音楽もそうだけど、メッセージ性のあるMCとか歌ってる姿とか、こんなふうになりたいっていう憧れの気持ちを持ちましたね。
ー人間性にも惹かれた、と。
はい。その頃から、ライブに行くときは「絶対に何か吸収しよう」っていう感じで行くようになりました。だから私のiPhoneには、“ライブで勉強になったこと”みたいなメモがいっぱいあります。そこから「ロックもいいな」と思って一時期そういう曲を作ったりもしていたんですが、ロックはあまり自分に合わないなと思い、結局今の音楽の方向性になっていきました。でも曲を作る上で、Takaさんのメロディから学んでるところはたくさんあると思います。
ー自分の目標とするものや作りたい音楽をしっかり見据えつつ、音楽を楽しんでいたんですね。
そうです…とも言えないところがあって。自分ってほんまはどんな音楽をやりたいんやろって、ここ最近までたくさん迷ったし悩みました。音楽を続けたいっていう気持ちは変わらずあったけど、どんな音楽を伝えたいんやろってめっちゃ悩んだんです。
ーきっとサウンドとか表面的なことじゃなく、もっと内面的なところからの悩みだったんでしょうね。
そうですね。どんな人に何を伝えたらいいんやろ、ほんまは何がしたいんやろってつまづいた時期もあったんですが、そんなときに今のプロデューサーの西(陽仁)さんに出会ったんです。一緒に話したり考えたりしながら、少しずつ自分のやりたい音楽が形になってきたんですよね。
誰かの気持ちを代弁する曲を書きたい
ー西さんに出会うまでは1人で活動をしていたんですか?
小学4年生でYouTubeを始めたんですが、そういう活動は両親と二人三脚って感じでした。
ーお母さんが照明持って、みたいな?
そういうときもありました(笑)。母がマネージャーみたいな感じで撮影してたし、SNSで投稿するカバー曲の相談なんかも母にしてましたね。
ーそこに西さんという音楽のプロの方が加わったことで、またひとつ違う扉が開いたような感覚もあったんじゃないですか?
そうですね。やっぱり父や母と一緒だと、アドバイスをもらってもはねのけちゃったり、反抗しちゃうこともあったんです。わがままなので(笑)。でもプロの方となると、「信じて受け入れてみよう、そっちの道に行ってみたい」っていう気持ちも芽生えてきて。自分的には、理想の形になれてるなって思っています。
ープロになりたいという気持ちは当初からあったんですか?
そこもちょっと難しくて。小学生の頃はただ楽しくてやってて、中学〜高校ぐらいまでは遊びの延長というか。「絶対に有名になりたい、この道を極めていきたい」っていう気持ちはあったんですけど、これで食べていこうみたいな感じでは思ってなかったんですよね。ちゃんと意識し始めたのは、受験とか就職とかの話になってくる高校2年生ぐらいのとき。「私はこれで食べていくんや」って思った感覚がありました。「あ、これが私の仕事なんや」って。
ーご両親がサポートされてるくらいですから、反対する人もいなくスムーズに進めたんじゃないですか?
スムーズだったんですけど、父がすごく厳しくて。「やるからには本気で夢叶えてこいよ」って、そっちのプッシュがすごかった(笑)。
ーいいお父さんじゃないですか。
自分でいうのもアレですけど、すごく恵まれた環境にいさせてもらってるからこそ、いろんな人に恩返ししたいと思ってます。そのためには自分が夢を叶えないとって、プレッシャーじゃないけど、頑張りたいって気持ちが今は強いですね。
ーすでにたくさんのフォロワーがいるAYANEさんですが、SNSでの反響や再生回数なども活動の後押しになっていたりしますか?
音楽活動をやるなかで、一番の源ですね。みんなからのメッセージやいいねがないと続けられてないと思います。音楽で行き詰まったときも、TikTokに上げた1本目の動画がバズって、「まだ私はみんなに求められるんや」って、再始動じゃないけど、またエンジンがかかった感じもありましたからね。
ー文化祭で歌っている動画ですね。ライブ経験がかなり豊富なんじゃないかって思うくらい堂々とした歌いっぷりで驚きましたが、AYANEさんにとって初めてのステージというのはいつになるんですか?
小学1年生のときに参加した、avexさんの<キラット☆エンタメチャレンジコンテスト>です。公開オーディションみたいな感じで、そのときはいきものがかりさんがすごく好きだったから「気まぐれロマンティック」を歌いました。
ー曲作りも小学生で始めたそうですが、そこは何かきっかけがあったんですか?
父からは「自分の曲を作ってみなよ」ってずっと言われてたんです。当時は小学3年生とかだったから全然興味がなかったんですけど、小学5年生のある冬の日にピアノを弾いてたら「ちょっとメロディ、浮かぶかも」と思い、レコーダーで録ってみたんです。歌詞をのせて完成した曲を父に聴かせたら「めっちゃええやん」って。それが初めての曲作りでした。
ーその曲、タイトルは?
「どうすれば」(笑)。
ー「どうすれば」(笑)??
なんか病んでたんですかね(笑)。ピアノでバンって始まって《どうすれば〜夢に辿り着くの》って歌詞から始まるんですけど、小学5年生ながら悩んでたのかなって(笑)。
ーほかに曲作りのエピソードはありますか?
これも同じ頃の話ですが、「これで曲を作りなさい」って父がいきなりMacBookをプレゼントしてくれたんです。操作も何もできないから部屋の隅に置きっぱなしだったんですけど、中学1年の夏にふと思い立ち、埃をかぶってたパソコンを開いて、GarageBandというアプリでビートを組み合わせたりしながら曲を作りました。
ーそのやり方を覚えたことで、曲の制作がスムーズになったとか何か変化もありました?
ずっとピアノだけで作ってたんですけど、そこからは自分が作ったピアノの曲にドラムを入れてみたりして、曲が形になっていくのが楽しくなりました。アレンジも、自分でちょっとやったりして。
ーアレンジまで!
ハマると没頭しちゃう性格なので、次の日学校やのにオールしてやったりしてましたね。
ー何を伝えたらいいのかっていう悩みの話も先ほどありましたが、そこが一番反映されるであろう歌詞については、最初どういうものを書こうと考えていたんですか?
絢香さんの影響を受けていたこともあって、壮大な歌詞を書きたいと思ってました。「I believe」とか「みんな空の下」のように、いろんな人の背中を押せるような、メッセージ性の強い応援ソングを書きたいなって。
ーそこから変化はありましたか。
結構ありましたね。高校生になってそれなりに恋愛経験とかも重ねたことで、恋愛の曲を書きたいなって思うようになったんです。失恋したときには失恋の曲を書きたいなって。高校生の頃は、恋愛の曲が一番増えた時期だったかなと思います。
ー等身大というか、自分の生活のなかから書きたいものが見えてきた感じだったんでしょうね。
そうですね。「自分はどういうことを音楽でやっていきたいんや、どういうメッセージを書きたいんや」って考えたときに、みんなからもらうメッセージをもとに、「みんなこういう曲を求めているんや、だったらそれを書きたい」っていう気持ちがまずあって。
ー普通に恋愛話も多そうですしね。
その時々で作った曲の思い出があるじゃないですか。「こういうメッセージをもらって書いたな」とか「自分、こういう経験して書いたな」とか。そういう、あとで聴き返したときに一緒に蘇ってくる、自分の歩いてきた道とか日々の感情を、日記みたいに音楽で残していけたらなって。そういうことを高校のときは一番強く思ってました。
ー自分の内側から出てきたものに誰かが共感してくれて繋がっていくって、素敵なことだなと思います。
本当にそう思います。高校卒業を期に上京してひとりになって、またそこで改めてどういうメッセージを込めた曲を書きたいのか考えたときに、寄り添うというのもそうだし、誰かの気持ちを代弁できるメッセージ性のある曲を書きたいなっていうふうに変わっていったんですよね。“代弁できる”っていうのが、自分のなかのキーワード的な感じになった。曲を聴いて何が自分的にグッとくるのかっていうことを考えたときに、自分が言葉で表せなかったことが歌詞になってたりすることだと思ったんですよね。そういう歌詞を、自分も書いていきたいなって思うようになったんです。
等身大の言葉と感情を込めた楽曲たち
ー曲作りにおいて、インプットするのはどういうところからが多いですか?
歌詞の元になっているのは友達とか家族との会話ですね。誰かと会話して、その思考から生まれる歌詞が多いかなって思います。リアルな歌詞を書きたいって思ってるからこそ、リアルなところから言葉を見出すっていうふうに心がけているので。
ー今までたくさん曲を作ってきて、「この曲ができたときは本当に嬉しかったな」って喜びを感じた楽曲はありますか?
西さんと初めて作った「泣きたい夜」っていう曲です。上京して初めてちゃんと書いて、リリースした曲。自分で聴いても泣いちゃうぐらい大切な曲になったし、今後どんな曲をリリースしても絶対忘れない1曲になるやろうなって思う曲です。
ー「泣きたい夜」に込めたのはどんな思いだったんでしょうか。
上京したときの気持ちを言葉にしたいなと思って、実体験とか、同じように上京してきた音楽仲間の気持ちとかをいろいろ組み込んで書きました。SNSでは私もキラキラな部分しか見せてないから、「AYANEちゃん楽しそうやな」って言われたりもするけど、そんな毎日だけじゃないんやよって。キラキラしているように見えるかもしれないけど、辛いことやしんどいこともたくさんあるし、泣きたい夜もいっぱいある。「あ、辛いの一緒やな」って寄り添える曲になったらなと思って書きました。
ー「bye bye」も人気の1曲ですが、こちらは歌詞がすごく印象的ですよね。
ファンの方にも「すごい歌詞だね」ってよく言われるんですけど、ひとりの女の子がクズ男にハマった物語を書きました。バイバイしたくてもできない子って、すごく多いと思うんですよ。私のことを応援してくれる人のなかにも、そういうメッセージをくれる方が多いんです。そういう人たちに対して、応援とか「バイバイしなさい」って言うのではなく、寄り添うことができたらと思って書いた曲です。
ーこれこそ「よくぞ言ってくれた、代弁してくれた」って思う人がたくさんいるから人気なんでしょうね。
2番のサビ前で《とっくに知ってる キミ、クズなこと》って歌詞があるんですけど、この表現を使うかどうか、自分的には迷ったんです。でもこれぐらいストレートに言ったほうが、みんなの代弁というか「言ってくれたな」ってスッキリできるかなと思って入れることにしたんですよね。
ー歌詞を書いていて、リアルすぎて自分が辛くなるようなこともありますか?
SNSのプロフィールにも書いてるんですが、私はポジティブすぎるくらいポジティブなんですよね。だから辛いなぁって曲ができても「あの辛い気持ちをこんな最高な曲にできたんや!よかった〜!」って思っちゃうんです(笑)。「この曲を聴いて、誰かが励まされたりちょっとホッとしてくれるのならOK!」って。
ー自分のテリトリーで完結させず、この曲を作ったらこういう人にも届くだろうなってところまで気持ちが向いているんですね。みんながAYANEさんの曲に共感する理由がわかる気がします。
私も常に「頑張ろう!頑張ろう!」みたいな精神ではやっていけないし、みんなと同じようにダラけたいときもあるし、なんなら一日中寝ていたい(笑)。そういうところも全部、みんなの思う“リアルな気持ち”として代弁していけたらなって思うんです。
ー若い世代は特にSNSやサブスクで音楽を聴くことも多いと思うんですが、曲を作るにあたって、たとえばイントロを短くしようとか、フックになるところを頭に持ってこようとか、SNSの特徴を踏まえて作ることもありますか?
そうですね。さっき話した「泣きたい夜」もそうですが、あれはサビ始まりなんですよね。サビ頭のメロディをキャッチーにすることで続きが聴きたくなるみたいな、そういうことを意識したりはしてますね。その上で曲全体を楽しんでもらいたいので、2番のAメロのメロディをちょっと変えてみるとか、歌詞にストーリー性を持たせるような工夫もしています。
ー新曲「2023」に関してはどうですか?
歌詞を見てもらったらわかると思うんですけど、1月から12月までのことを順番に歌詞にしていて。《one》《two》…っていうところもすごく可愛い。こんなふうに1月から12月までのことを歌詞にするような書き方はやったことがなかったし、それこそ最後まで聴いてみたくなるかなって気持ちで作っていきました。
ー《365日理想通りにいかなくてもきっと大丈夫だよ》って気持ちが軽くなるような言葉もありますが、最後には、一歩ずつ目標が全部叶う日まで歩いていこうっていうエールがちゃんとあるところが素敵だなと感じました。
繰り返しになっちゃいますけど、メッセージ性の強い曲が作りたいって思ったときに、そんなに暑苦しく「頑張れ、頑張れ」だけだとしんどくなると思ったんです。私も「頑張れ、頑張れ」って言われたからといって頑張れるタイプではないので。もうちょっと気楽に「そんなときもあるけどね」ってくらいのテンション感で聴いてもらって、結果的に1年が明るくスタートできたらなって気持ちを込めたんです。
ーこの曲は読み方も含め、タイトルもすごく可愛いですよね。
2023年の1月にリリースされる曲のタイトルが「2023」だったら聴いてみたくない?っていうところから始まりました。ニューリリースで「2023」っていうのがあったら絶対みんな再生ボタンを押すよなって(笑)。これは「2023」と書いて「トゥーオートゥースリー」と読むんですが、メロディに当てはめる感じで読み方を決めました。
ファンと同じ空間で音楽を感じたい
ー新曲の「2023」曲に限らず、たとえばこういう人に私の音楽が届けばいいなって思っている人はいますか?
同世代の女の子ですね。私と同じくらいの人にたくさん届けばいいなって、本当に思ってます。20歳の私やからこそ書ける歌詞っていうのもあると思うし、そういう方の気持ちを代弁できたらと思って歌詞を書いているから。
ー20歳になって、歌詞として見える景色や感じ方など変わってきた部分もありますか?
20歳になった実感って全然なくて。最近たまに「あ、20歳か」って思うくらいなんですけど、たぶんみんなこんな感じだと思うんですよね。周りを見てても「今日から大人だ!」ってなってる子は少ないです。
ーなるほど、その感覚ってすごいリアルな感じがしますね。そんなAYANEさんは2023年をどんな1年にしたいですか?
去年は新しい自分を見つけて、しかもこれが私の理想の形で、その形をみんなに受け入れてもらえた。自分にとって始まりの年になったので、2023年は私の音楽を感じてもらえるライブの場をたくさん作れたら嬉しいなって思います。
ーライブを意識して曲を作ることもあります?
「こんなノリ方、みんなでしたいな」とかは思ったりしますね。そんなにたくさんライブをしてきたわけではないので「リアルで、みんなの前で歌ったときにどんなふうに届くのかな?」って不安もあったりするけど、それも含めて見てみたいというか。みんなと一緒に同じ空間で音楽を感じたいっていう気持ちもあるので、2023年はそれを形にしていけたらなって思います。
ーたとえばどういう場所で歌ってみたいですか?
私はもともと関西出身なので、関西のライブ会場にはいくつか目標があったりするんですけど、BIGCATはすごく憧れがありますね。まだまだやなって思うけど、中学生のときからやってみたいなと思っていた場所です。
ー最終的に目標としているのは?
また大阪になっちゃうんですけど、大阪城ホールが一番の目標です。地元が関西やからっていうのももちろんあるけど、ONE OK ROCKさんのライブを見たのが大阪城ホールだったんですよ。あのときの空気感とかも肌で感じているので、絶対に歌いたいっていう気持ちが一番強い場所です。
ー「2023」の歌詞にもありますが、その夢の実現に向かって今年も一歩ずつ足跡を残していってくださいね。
はい、頑張ります!
Presented by.DIGLE MAGAZINE
【RELEASE INFORMATION】
New Digital Single「2023」
2023年1月2日(月)リリース
▼各種ストリーミングURL
https://big-up.style/Cy3FkTZnNo
▼Lyric Video
https://youtu.be/bls4DeUqyYo