自分らしくあるために。転機を経て生まれ変わったFurui Rihoが語る現在地。

インタビュー

『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第38回目はFurui Rihoが登場。

札幌発のシンガー・ソングライター、Furui Rihoが新曲「I’m free」を7月29日にリリースした。その力強い歌声とラップ的要素も感じせる今日的なフロウ、そしてアーバンなトラックでシーンにて急速的に認知を拡大させているFurui Riho。昨年発表のシングル「Rebirth」では過去の自分との決別を赤裸々に綴り多くの共感を呼んだ。今回のインタビューでは「I’m free」の制作背景、そして今も地元・札幌に拠点を置く彼女の活動スタイルに迫る。

自分らしさを肯定する「I’m free」

―東京に来ること自体、恐らく久しぶりですよね。

3月末以来なので、4ヵ月ぶりくらいですね。前回の時は東京でのライブが中止になって、急遽配信ライブを行いました。

―このコロナ禍の中、どのようにお過ごしでしょうか。

色々なことをやっているのですが、ひとつは映像編集ですね。「(Adobe)Premiere Pro」を購入して、自分の過去のMVを再編集してみたり、いちから勉強しています。あとは単純にゲームをして過ごしたりしています(笑)。

―動画編集に手を出したのはなぜなのでしょう?

元々興味はあったんですけど、中々時間を取ることができなかったんです。それでこのような状況になったので、この機会にやってみようと。今回の新曲「I’m free」リリースに際して、SNSに上げた短い動画は自分で作りました。映像を切り取ったり文字を入れたり、まだ初歩的なことしかできてないんですけど。

―音源制作はいかがですか?

正直言って、全然曲作りはできていないです……(笑)。やっぱり外に出ていないと、新しい考えや情報も中々入ってこなくて、創作意欲が湧かないというか。最近のSNSに漂う雰囲気も少し苦手で、そういうところからも離れていましたし。だからこそ、音楽とは全く別物である映像編集に手を出してみたのかもしれません。

―では、新曲「I’m free」はだいぶ前から温めていた曲なのでしょうか。

アイディアは3月くらいからあって。それを数ヵ月に渡って詰めていったという感じですね。

―「I’m free」は“着飾らずそのままが美しい”というメッセージが核となっていますが、そういったテーマ、コンセプトが生まれるにあたって、何かきっかけとなる出来事などはあったのでしょうか。

昨年発表した「Rebirth」を書いた時、自分の中で新しい一歩を踏み出そうっていう想いが確立したんですけど、それまでの私は“誰かに気に入られたい”とか、自分の嘘をついてでも他人に良く見られたいっていうマインドに支配されていて。知らず知らずのうちにフラストレーションが溜まってきて、爆発してしまったんです。その時芽生えた“自分らしくいたい”、“このままでいいじゃないか”っていう気持ちが「I’m free」の核になっています。

―ある意味「Rebirth」とも地続きの作品というか。

そうですね。私のソロ活動において、「Rebirth」という曲はとても大きな転機になった曲で。その前と後では全く精神状態が変わって、新しい考えや気持ちが次々と湧いてきたんです。

転機となった「Rebirth」、その背景

―「I’m free」について掘り下げる前に、「Rebirth」発表以前のFuruiさんの活動についてもお聞きしたいです。元々音楽活動自体は長く続けてらっしゃるんですよね。

そうですね。なんだかんだ言ってもう9年くらい続けていると思います。ただ、「Rebirth」以前と以降で一番違うのは、音楽と真剣に向き合っているかどうかだと思います。前は口では「音楽で生活していきたい」って言いながらも、どこか本気で動けていない部分があったし、色々な意味で中途半端でした。たぶん、全てを捨てる覚悟がなかったんだと思います。音楽に本気で打ち込んだら、時間や金銭、場合によっては人間関係だったり、少なからず犠牲にするものが出てくると思うんです。それを受け入れる覚悟が備わっていなかった。「Rebirth」を作るにあたって、一番大きかったのが大切な人との別れで。その人はとても素晴らしい人なんですけど、勝手に自分と比べて劣等感を抱いていたんです。“この人みたいになりたい”っていう思いに支配されて、自分らしくいられなかった。かといって何か思い切った行動にも移せない日々が続いていて。

―なるほど。

今振り返ってみると、依存していたんだと思います。でも、自分の中で大きなウェイトを占めていた人がいなくなって、自分だけで歩いていかなければいけなくなった。その時は本当にギリギリの精神状態で、音楽を辞めようとも思ったのですが、どうしても音楽を捨てた自分の姿が想像できなくて。何とか踏み止まりました。

―「Rebirth」という曲を生み出せたこと、そしてそれが多くの人に評価されたこと。それがFuruiさんの活動を後押しするきっかけになったと。

はい。あの歌詞を書けたことはすごく自信に繋がりましたし、前を向くことができたので。あと不思議なんですけど、私の先輩でスピリチュアルな方がいるんですけど、「Rebirth」を発表する年に、「Rihoちゃんは“いく”から」って言われていて。「“いく”って何だろう……?」って思いつつ(笑)。もうひとり、別の方からも「前に進むような歌で、あなたは成長します」みたいなことを言われていて。別に「Rebirth」を作っている時はそのことを意識していたわけではないんですけど、後からハッとしたというか。

―反響の方はいかがでした?

周りから「聴いたよ」ってポジティブな声をもらうことも多くて、改めて「これは私が生まれ変わる時なんだな」って実感していきました。

―「Rebirth」を経て、ご自身にはどのような変化が起こったと思いますか?

日々の思ったこと、湧いてくる感情を書き留めておくようになりました。次の曲に活かせるかもしれないと思って、毎日何かあったらすぐにメモを取るようにしています。歌詞やメロディに対しても、すごくシビアに考えて、研ぎ澄ませるようになりました。

“自分らしくいれる”――札幌から発信する理由

―そもそも「Rebirth」以前はどのように活動していたのでしょうか。

札幌のライブハウスやショッピング・モールでライブしたりしていました。自分で作った曲を歌うっていうのは変わらないのですが、その頃はあまりトレンドなどは意識せずに、自分のルーツに近いテイストの楽曲が多かったですね。ライブしたい時にライブして、曲作りたい時に作ってという感じで、今よりもすごくマイペースなスタイルだったので、何ヵ月も間が空いてしまうこともありました。今もライブで披露している「嫌い」はその頃にできた曲です。他にはカナダに留学していた時のことを歌った曲で「お米食べたい」って歌う曲だったり、深く考えずにその時思っていたことを曲にしていました(笑)。

―作家活動もされているんですよね。

はい。5年くらい前に、友達に「コンペに参加してみれば?」って言われて、メジャー・レーベル主催のコンペに参加してみたんです。そこから出会いもありつつ、お仕事をいくつか頂けるにようになって……でも、たくさんオファーが増えたのも「Rebirth」を発表した後からだったかもしれません。ちなみに、作家活動は別名義でやっています。

―ルーツ的な部分でいうと、音楽が大好きな両親の影響、そしてゴスペルが大きいそうですね。

お母さんが大好きな平井堅さん、CHEMISTRY、久保田利伸さんなどを聴きながらおままごとしていたのを覚えていたくらい、影響が大きいですね(笑)。ゴスペルを始める前からR&B、ブラック・ミュージックには親しんでいたんだと思います。

―何度もコラボを果たしているJazadocumentさんを筆頭に、City Your Cityのk-overさんやTOCCHiさんなど、札幌を活動していく中で繋がったのでしょうか。

そうですね。元々自分はクラブで歌ってたのですが、その繋がりで出会った人は多いです。札幌って、面白いのがライブハウス、クラブ毎にあまりジャンルの壁がなくて。東京ってクラブはクラブ、あの箱はヒップホップ箱っていう風に、結構分かれているように感じるんです。数が少ないっていうのもあって、札幌ではロック・バンドが出演した翌日に同じ箱でDJイベントをやっていたりして。そこは札幌独自なんだってことを最近知りました。中でもTOCCHI(※)との出会いは大きいですね。私が音楽活動をし始めた頃って、札幌にいっぱいR&B系のシンガーさんがいて。結構シーンが築かれていたんです。でも、時が経つにつれてみんな辞めていったりして、その中で残ったのが彼と私でした。だから、ライバルでもあり、仲の良い友だちみたいな感じで、彼には何でも話せるし、彼の考え方にも影響を受けましたね。

※現在は沖縄を拠点とするシンガー/プロデューサー。唾奇やHANGなどを擁するクルー〈604〉に所属している。

―ちなみに、東京へ行こうという気持ちは?

1回考えたこともあったんですけど、何か“潰れちゃいそう”って思ったんですよね。あと、私は北海道が大好きだし、家族と過ごす時間も大切にしたい。そういうことを考えると、今のままでいいのかなって思っています。今の時代なら、東京にいなくてもある程度やっていける環境を作れると思うんですけど、札幌ではまだそういう活動をしている人があまりいないような気がしていて。札幌を拠点としながらも、東京のアーティストとも繋がりを持って活動していく。自分がそういう存在にななれればいいなと思っています。

―札幌と東京との違いについてはどのように感じていらっしゃいますか?

何ていうか、東京はギラギラというか、ワクワクしている人が多いと思います。自分のやりたいことをやって生活している人がいっぱいいるなと。ただ、長くいると私の場合は疲れてしまいそうなので、拠点は自分らしくいれる札幌のままがいいなって。理想を言えば、札幌、東京に半分くらいの割合で活動していけたらと思いますね。

最後に笑うため

―新曲「I’m free」でプロデュースを手掛けるShingo.Sさんとはどのように繋がったのでしょうか。

昔からたまに東京にライブをしに行っていたんですが、その時知り合いました。もう7〜8年前になりますね。昔からいつか一緒に制作したいって思っていたのですが、自分の実力じゃ恐れ多くてお声がけできないなと思いつつ、曲ができたら送って、アピールはしていました(笑)。そんな中、今年に入って一緒にご飯食べる機会があって、その場で思い切って相談して、今回ご一緒することになりました。本当はもっと早めに発表したかったんですけど、今の社会の状況的に、みんな“I’m free”な気分じゃないだろと思って、先延ばしにしていました。

―サウンド的にはShingo.Sさんとどのように話し合ったのでしょう。

Shingo.Sさんが私にはどういったサウンドが合うかを考えてくださって。そこで出たのが、ちょっと昔の、2000年代くらいのR&B。そこに最近っぽいメロディとラップっぽいフロウを取り入れたら、私に合うと思うって提案してくれました。

―軽快なテンポの4つ打ちトラックで、新鮮な印象を受けました。

Shingo.Sさんからも「Rihoちゃんってこういう曲ないよね」って言われました。確かに、私ひとりだったらこういう曲作らないなって(笑)。私にとっては結構挑戦でもありましたね。最初は本当にその時代のR&Bみたいになっちゃって、それを今っぽくアレンジするのに苦戦しました。でも、完成した時はShingo.Sさんの言う通りにしてよかったなと。

―ライブでもハイライトになりそうな曲ですよね。

Shingo.Sさんともそういう話をしていました。「この曲のイントロがかかっただけで盛り上がったらいいよね」って。

―今後の活動について、何か計画していること、考えていることを教えて下さい。

私、tofubeatsさんの活動スタイルに憧れているんです。地元と東京に2つ拠点を持って、独立してマネージメントも自分たちで手掛けている。そういうスタイルがすごく素敵だなって。自分が主体となって、信頼できる人たちとFurui Rihoというプロジェクトを前へ進めていく。私もそういう活動ができるように、仲間が欲しいなって思っています。Furui Rihoというプロジェクトを通して、自分のやりたいことを実現する。それぞれの得意分野を活かして、自由な形で関わってくれる。そんな仲間と一緒に、音楽で好きなこと、楽しいことをやっていきたいです。あまり売れるとかビッグになるとかは意識していなくて、おもしろいことさえできれば、最後に幸せな人生だったなって笑えるはずだと思っています(笑)。

―そういう意味では、Jazadocumentさんなどはまさにそういった仲間のひとりですよね。

はい。あと、元Galileo GalileiのIwai Fumito さんもすごくお手伝いしてくれていて。北海道の優秀なアーティストたちです。私の今の活動において、2人は欠かせない存在です。

―音楽的にはどうでしょうか。何か挑戦してみたいことなど見えてきていますか?

実は「私にはこれ!」って言える武器のようなものを模索しているところなんです。それを見つけるためには色々なサウンド、曲に挑戦するしかないと思うので、トライ・アンド・エラーを繰り返していくと思います。日々の想い、感情を大事に、素直に歌詞を書いていくこと、そして心地良いメロディを作ること。そこはブレることはないと思います。あとはまだライブができない状況が続くと思うので、今年、もしくは来年中にはEPかアルバムを発表できたらいいなと考えています。

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