ボカロPからシンガーへ。大沼パセリの変化を紐解く
インタビュー
『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第42回目は大沼パセリが登場。
大沼パセリが新曲「スカート」を10月7日にリリースした。
バーチャル・シンガーの花譜らを擁するYouTube発のクリエイティブ・レーベル〈KAMITSUBAKI STUDIO〉に所属する大沼パセリは、ボカロPとしてそのキャリアを始動させながら、9月にリリースした「Latency」よりセルフ・ボーカルを始動させた気鋭の新世代アーティスト。プロデューサーとしてはEDMからフューチャーベース、ドラムンベース〜ヒップホップまで、どこかメランコリックな世界感は一貫しているが、器用に様々なスタイルを横断する作風で人気を集めている。
未だミステリアスな側面も多い彼の初インタビューとなる本稿では、彼のバックグラウンドからこれまでの足取りを振り返ると同時に、新たな道を歩み始めた彼の現在地を訊いた。
「最初は何がなんだかわからなかった」――バンドを経てボカロPへ
―大沼さんのルーツについて教えて下さい。最初に音楽に熱中したのはいつ頃だったのでしょうか。
バンドをやっていた兄の影響で楽器に興味を持って、中学2年生の時にギターを買ってもらったのがきっかけだと思います。BUMP OF CHICKENやRADWIMPSなど、ロック・バンドを聴いたりカバーしたりしていました。高校生になってからはバンドを始めて、しばらくしたらオリジナル曲を作ってライブハウスなどにも出演するようになりました。
―ご自身はギター・ボーカルで?
はい。
―お兄さんとは音楽の趣味も近かったのでしょうか。
そうですね。最初の頃は兄が聴いているものを僕も聴くっていう感じでした。それこそオリジナル曲を作り始めたのも兄の影響が大きくて。兄の作り方を参考にして、見様見真似で作っていきました。
―お兄さんと技術や知識を共有しつつ。
兄はベースだったので、ギターやボーカルに関しては割と独学だったかもしれません。
―バンドとして活動していた大沼さんが、ボカロと出会うのはいつ頃なのでしょうか。
高校卒業後、僕は音楽の専門学校に進んで。専門時代も同じメンバーでバンドは続けていたのですが、就職を機にお互い時間などが合わなくなり、必然的に解散しました。僕はそれでもバンドをやりたかったので、新たにメンバーを探していたのですが、中々見つからず……。どうしようかなって悩んでいた時に、ボカロを使っている友人の話を聞いて、始めました。
―バンド時代はDTMもあまりやっていなかったのでしょうか。
専門学校で少し学ぶ機会はありました。とは言え、ボカロを始めたばかりの頃は何がなんだかわからなかったです。色々調べながらひとりで勉強していて、最初に何とか完成させた曲は、ひっそりと匿名でネットにUPしました。今はもう消してますけど(笑)。
その辺りから向上心もより強くなって。もっと勉強すれば、もっともっといい曲が作れるって思えるようになったんです。それで投稿を重ねているうちにどんどんハマっていきました。
―制作のノウハウを勉強、実践しつつ、同時にボカロPのカルチャーも吸収していったと。
いえ、あまり他のボカロPの作品は聴いてなかったです。ボカロで曲を作るようになってからも、聴くのはロック・バンドが多かったです。
―そうなんですね。EDMやドラムンベースを想起させる作品もあるので、ダンス・ミュージックやボカロ界隈の音楽も吸収しているのかと思っていました。
そういった要素はDTMを始めてから勉強したものですね。DTMのハウトゥー動画とかを見ているうちにSkrillexに辿り着いて。ダブステップやブロステップからも影響も受けていると思います。そこから派生して、ヒップホップやビート・ミュージックも聴くようになりました。
暗い世界でも一筋の希望を
―では、ボカロPとして一番最初に手応えを感じたタイミングは?
2018年に発表した「Corruption」ですね。でも、何でこんなに再生数が伸びたのかわからないんです。もちろん、ホンダソウイチのイラストのインパクトは大きいと思うんですけど。正直、今でも「これがウケる」とか「こういう曲が伸びる」とか、そういうことが全然わかってなくて。本当に自分の好きなように曲を作っているだけなんです。
―「Corruption」発表時のリアクション、反響などは記憶に残っていますか?
「もう少し生きてみようと思った」というコメントを見た時は、「あぁ、この曲を作ってよかったな」って思いました。曲を作る際に、僕の中で決めていることがあって、いくらネガティブな曲でも一筋の希望は残すようにしていて。暗い世界に見えても、自分次第で何とかなるっていうことは伝えたいなって思っています。それはこれからも変わらないかな。
―そういったメッセージを届けたいという思いは、どのようにして芽生えたのでしょうか。
社会に出てからの自分の実体験が大きいかも知れません。辛いことはいっぱいあるんだけど、そんな中でも美しい物事は絶対にあって。それに気づいてほしいというか。
―そういった辛い時期の救いになっていたのが、音楽であり、曲を作ることだったと。
はい。僕の場合は音楽が精神安定剤になっていたと思います。自分の曲を聴いて、自分で救われている側面もあって。現実逃避できるというか。自分に対する応援歌のようにも聴こえてくるし。
―結果としてそれが他者にも響いたと。
響いてくれていたら嬉しいです。それが理想ですね。
―バンドから音楽活動をスタートさせた大沼さんからみた、ボカロの長所は?
難しいですね……。やっぱり失敗がないっていうことと、みんなが親しみやすい声っていう部分じゃないですかね。
―なるほど。
正直言うと、最初はバンドができなかったから、消去法で選んだような感じだったので。
―ボカロPとしての作品には、バンドや生身の人間の歌唱では再現できないようなものも少なくないですよね。そういった作風は、ボカロで制作しているうちに芽生えてきたものなのでしょうか。
そうだと思います。ボカロで制作してると、ギターでコードを弾きながら作っていた頃には出てこなかったようなメロディも生まれてくるんです。そういうのがおもしろくて、引っ張られているんだと思います。
―今年2月には“ボーカロイド・ベスト・アルバム”と銘打った『ave』をリリースしました。このアルバムは大沼さんからみて、どのような作品になったと思いますか?
これまでの成長過程かなって思いますね。これまでの集大成なので、全曲に思い入れがあります。
セルフ・ボーカルで本格始動
―今後は自身が歌唱する作品をメインに活動していくそうですが、これも元々バンドでギター・ボーカルを務めていた大沼さんにとっては自然な流れだったのでしょうか。
前々から自分で歌いたいとは思っていて。ただ、レコーディング用の機材などが充実してなかったんです。今年くらいから機材も揃えたので、本格始動させようと。
―ボーカルは今でも我流ですか?
ボイトレには通うようになりました。発声がよくなってきたのも実感できて、自分のボーカルにも自信を持てるようになってきました。あと、普段から「声が大きくなったね」って言われることが増えました(笑)。
今でもなよなよしていることは自覚しているのですが、前はもっと酷くて。よく「何言ってるか聞き取れない」って言われていたのですが、それが減って、少しポジティブになれたと思います。
―自身歌唱のシングル「Latency」がすでにリリースされています。この楽曲はどのようにして生まれたのでしょうか。
有名なホストの方のドキュメンタリーを見て、下積み時代の話がすごく印象に残ったんです。華やかな世界に見えるけど、その裏ではすごい苦労をされていて。そういった部分から妄想で話を膨らませていきました。疲弊している社会人のみなさんに伝えたいメッセージを込めたので、聴いて何か感じてくれたら嬉しいですね。
―<汚れたスーツ着て下を向く/擦り減った靴底 消耗の日々だから>といったリリックから、まさに今おっしゃった通りのイメージが湧きます。
ありがとうございます。自分の体験も少し重ねつつ書きました。
―リリックでは日々感じたことを題材にしているそうですが、曲になる題材はどのようなところから生まれることが多いですか?
自分の実体験もそうですが、友達の話などにインスピレーションをもらうことも多いです。iPhoneのメモ帳に気になった言葉など、リリックの種みたいなものを書き留めています。あと、映画や漫画から影響を受けていることもありますね。
曲によって影響源はバラバラなんですけど、どの曲にも絶対に自分の実体験や感情は混ざっています。
―ご自身で歌うようになって、リリックは変化したと思いますか?
変わったと思います。ヒップホップの影響も大きいと思うんですけど、韻を踏むようになりました。その方が自分で聴いていても気持ちいいんですよね。
―作曲する時はどこから膨らませていくことが多いのでしょうか。
サウンドを打ち込みつつ、方向性が見えてくることが多いと思います。1回作り始めたら寝かしたり保留にすることはあまりなく、基本的に一気に作り上げちゃいます。リリックのテーマも先に決めてから制作しています。
―最初に打ち込むのはドラムですか?
僕はピアノですね。ピアノでコードを決めてからドラムやビートを組んでいきます。作り方では海外のループ系の音楽に近いと思います。
―10月7日には新曲「スカート」がリリースされました。こちらはポップで軽快なラブ・ソングのように感じましたが、ストレートな恋愛を綴ったものとは異なる印象を受けました。
この曲は完全に自分の想像で書きました。片思いをテーマにした曲で、実は配信者に恋するリスナーをイメージしています。
―報われない気持ちが表れているかのようです。その一方で、サウンドはこれまでの作品の中で一番明るいとも言えるのではないでしょうか。
そこはすごく意識しました。ギャップを作りたかったのと、ちょっとドロドロした感じのリリックを、ポップなトラックで中和させたくて。
―この架空の物語が生まれるにあたって、何かきっかけなどはありましたか?
VTuberの生配信と、そこに寄せられるコメントを見ているうちに生まれました。
自分の声を多くの人に届けたい
―今は音楽活動も軌道に乗っていると思うのですが、元々志向していたバンドの道に戻るという選択肢は考えたりはしますか?
今は考えなくなりましたね。ひとりで全部作れるっていうのがすごく自分に合っていると思うんです。
―社会人だった時の辛い期間を経て、今は音楽一本に集中できる環境になった。リスナーやファンも多くいる。こういった環境の変化は、ご自身の作品にも変化を及ぼしていると思いますか?
そうですね。最近では自分の中に余裕が増えたような気がしています。前はひとつ悩みがあったら、それをそのまま曲にしていたイメージなのですが、今はひとつの曲の中に、もっと様々な要素を詰め込めるようになったと思います。視野が広くなったというか。色々な物事が見えるようになった。
―今後も曲はコンスタントに発表していく予定でしょうか。
はい。11月にも新曲を発表する予定です。
―こんなご時世ですので、中々難しい面もありますが、ライブ活動なども考えていますか?
すごくやりたいですね。ただ、自分が歌う曲に関してはまだまだ数が足りないと思うので、ちょっと先になるのかなと思います。
―バンドの生演奏でのライブなども合いそうですよね。
色々なスタイルでのライブをやってみたいです。バンド・セットだったりDJセットだったり。
―そういえば、以前イベントでDJパフォーマンスを披露していましたよね。
『ニコニコ超会議』ですね。DJを始めたきっかけは、今僕が所属している〈KAMITSUBAKI STUDIO〉のMisumiさん(DUSTCELL)の影響で。彼から色々教えてもらって始めました。
―ご自身の活動において、大きな目標を掲げるとしたらどういったものになりますか?
自分の声・音楽を多くの人に届けていきたいです。そのためにも色々と勉強をして、たくさんの曲を作らなければなと思っています。アルバムももちろん作りたいですし。
あと、早く自分の曲を聴いてくれている人たちの姿を見てみたい、お会いしたいという気持ちも強いので、やっぱりライブを早くできるようにしたいですね。
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