過去への決別。若きSSW・上野大樹が変化を受け入れた理由

インタビュー

『BIG UP!』を利用している注目アーティストをピックアップして紹介するインタビュー企画。第40回目は上野大樹が登場。

山口出身のシンガー・ソングライター、上野大樹がニュー・シングル『東京』を9月2日にリリースした。

心象風景をセンチメンタルに描き出すリリック、そして繊細な歌声で若者を中心に支持を獲得する上野は、学生時代から数々のオーディションにて入賞を重ねるほか、自主企画を開催するなど東京を中心に注目を集めている新鋭だ。

どこか懐かしさを湛えつつ、時には息を呑むようなリアリティを突きつける言葉の数々には、非凡なる才能を強く感じさせる。

今回のインタビューでは、そんな1996年生まれの若きシンガー・ソングライターの本音に迫る。

「本気で音楽やってみよう」――去年、芽生えた決意

―音楽を始めたきっかけは、怪我と病気でサッカーができなくなってからだそうですね。最初にギターを手にした時、どういった曲を練習しましたか?

それまでは全然音楽を聴いていなかったので、当時流行っていた曲をカバーしていましたね。それこそいきものがかりやコブクロなど。当時、ツイキャス(TwitCasting)が流行っていて、そこで弾き語りしている方の配信を観て、そこで聴いた曲を練習していました。

―ツイキャスは身近な存在だったのでしょうか?

実家が結構田舎の方なので、娯楽があまりないんですよね。それこそ怪我してからは家に引きこもるようになったので、YouTubeやツイキャスをよく利用するようになりました。

―ご自身でも配信をしていたとか。

はい。最初はいちリスナーとして人の配信を聴いてるだけだったんですけど、同じくツイキャスを聴いてる人から、「上野くんも配信してみたら?」と言われて始めたんです。
でも最初の頃は恥ずかしかったので、ギターをやったり配信していることは学校の友だちには内緒でひっそりとやっていました。真剣に音楽をやっていたというよりは趣味という感じで、部活もやっていなかったし、なんとなく自分の居場所作れたというか。そんな感覚でしたね。

―初ライブも、配信の視聴者からの声がきっかけだったそうですね。

そうですね。サッカーを辞めて、いきなりギター弾き語りやり始めたら周りから何を思われるんだろうって、少し怖い部分もあって。ライブもやってみたいけど、バレたくないし(笑)。オーディションなら受けてみてもいいかなって思って応募して、結果的にそれが初ライブになりました。

―その初ライブとなったYAMAHAのオーディション『Music Revolution』でグランプリを獲得したわけですが。その辺りから、音楽活動に対する気持ちなども変わりましたか?

いや、ちゃんとやろうって思ったのは去年くらいからですね。

―去年?

もちろん大学生になってからも音楽は続けていて、事務所にお世話になったりもしていたのですが、それでも学校とは違うもうひとつの居場所っていう感じだったんです。ただ、卒業が近づいてきて、就職するかどうするか考え始めて。留学とかも経験して、帰国してから「本気で音楽やってみよう」って思ったんです。今の制作チームと出会えたことも大きいですね。

―色々な経験を経て、ようやく音楽一本に絞る決意をしたと。

はい。今振り返ってみると、それまでの自分の音楽活動はどこか中途半端だったなと思える部分も多くて。ようやくどういう風に音楽を作っていこうとか、自分の身の振り方とかを真剣に考えられるようになったと思います。

―YAMAHAのオーディションのほかにも、『未確認フェスティバル 関東ファイナル』進出や『RO69JACK 2015 for COUNTDOWN JAPAN』入賞など、数々の実績がありましたが、それでも本気でなかったと。

もちろんすごく嬉しかったです。でも、子供が運動会で1等取ったみたいな感覚というか(笑)。その時はまだ、自分が音楽を生業にして生きていくっていう姿は想像できていなかったですね。

―ギターを手に取るまではあまり音楽を聴いていなかったとのことですが、今のスタイルに至るまで、影響を受けたアーティストや作品はありますか?

その時々で聴く音楽は結構変わる方なので、あまり特定のアーティストさんの名前を挙げるのは難しいかもしれません。ただ、僕は個人でやっているので、やっぱりバンドよりもソロ・アーティストさんの作品を聴くことの方が多いですね。

―高田渡さんにハマっていた時期もあったそうですね。

その時はすごいフォークに惹かれていて。当時の空気を内包しつつ、日常のリアルを歌っている。そういう歌詞にとても影響を受けました。年代は違いますけど七尾旅人さんとか、世の中のことを自分の曲に反映させているようなアーティストさんが好きですね。

―作曲においてどのような物事からインスピレーションを受けていますか?

前までは普段あったこと、思ったことを出てきたままに綴っていました。メロディも歌詞も同時に出てくるっていう感じでしたね。ただ、音楽に本気で向き合うようになってからはより作詞にかける時間が増えました。最近はメロディを先に作って、そこから歌録りのギリギリまで練り直したりします。「これは本当にいい歌詞なのか」ってじっくり悩んだり、色々な場所へ言って書いてみたり。とにかく時間をかけていますね。

―それぞれの作品において、最初からテーマや物語ありきで作るのでしょうか。それとも、作曲している途中で浮かんでくるのか。

どちらのケースもあります。最初から主題が強く思い浮かんでいる時は、そのまま曲が完成するまでテーマがブレることはないですね。ただ、最初の主題やストーリーが抽象的だったりすると、途中で方向転換したりします。
去年リリースした「青」っていう曲は、実際に知人の赤ちゃんが死んでしまったという重たい話が核になっているので、最初から最後までブレなかったです。でも、他の曲だと最初の作曲の入り口と完成形で結構変化しているものもありますね。

実体験を元にしたメッセージ

―「青」の元になったお話について、差し支えなければ少し詳しくお話聞かせてもらえますか。

元々親交の深かった知人から急にLINEがきて。事の経過を知らされ、「いつか曲にして欲しい」って言われたんです。その赤ちゃんは元々心臓が弱かったみたいで、最初は人工心臓で延命措置を取っていたんですけど、ずっとそのままは無理だろうということで、生後2週間くらいで息を引き取ったそうです。もちろん僕はその赤ちゃんに会ったこともないし、最初は「そんな重い話、曲にできないよ」って思ってたんですけど、ずっと頭の中には残っていて。新しい曲を作ってもそっちに引っ張られてしまうんです。なので、腹を括って曲にしようと。そこから2〜3日でパパっと形になりました。もしかしたら想いが強ければ強いほど、スムーズに曲が書けるのかも知れません。

―先程おっしゃった制作チームと出会い、去年から何十曲と書いているそうですね。その中で生まれた曲のひとつが「青」なのでしょうか。

そうです。「青」を作ったタイミングで、一緒にアルバムを作りましょうっていう話がスタートして。

―アルバム制作へ向けて去年から動き出したにも関わらず、今年に入ってからはコロナ・パンデミックが起こってしまいました。3月以降はどのような活動を行っていますか?

音楽を本気でやろうって決めて、去年末くらいには2020年はどうやって活動していこうか考えたり、計画を立てていたんです。それが一気に崩れた。周りには外出自粛で、新しい趣味や楽しみを見つけている人もいたのですが、僕はこのままじゃマズいぞと思って、この状況下で、自分の音楽を広く届けるためにはどうしたらいいのかっていうことを考えるようになりました。

―今年の3月末に配信した「夕べの光」以降、コンスタントに配信リリースを行っていますよね。それもコロナ禍の中で考えたプランのひとつなのでしょうか。

はい。アルバムからの先行シングルというわけではなく、色々な人に上野大樹という存在を知ってもらうために、小まめに作品を発表した方がいいだろうなと。あと、YouTubeやSNSでもMVや短いスポット映像をUPしたり。色々考えて、色々なことにトライしています。

―「夕べの光」は舞台のために書き下ろした楽曲だそうですね。ピアノとギターとチェロという珍しい編成ですよね。

アレンジをお願いした(村田)昭さんがチェロを入れてくださったのですが、あまり音は増やさず、必要な音だけにしようって言われて。最初は不思議な編成だなって思ったんですけど、いざレコーディングしてみたらすごく耳馴染みも良くて。長く聴ける良い作品ができたなと思っています。

―自分の実体験を元に曲を書くのと、別の作品に沿った曲を作るのでは、どちらの方がご自身に合っていると思いますか?

一長一短な気がしています。実体験から曲を作ると、でき上がったものに対して正解か不正解かの判断が自分で下しやすい。その分、客観的な視点が欠けることも多くて。「言っていることが重複しているよ」っていう指摘をされることもあります。一方、別の物語を軸にすると、すごく書きやすいんですけど、最後の最後まで「これが正解なのか?」っていう風に悩んだりしますね。

―今のところは実体験から生まれる曲の方が多いですか?

そうですね。自分の体験から膨らませていくことが多いです。自分の曲で伝えたいメッセージは、やっぱり自分の実体験に紐付いている方がより説得力が生まれると思うので。

―「夕べの光」に続いて4月に配信された「おぼせ」は、震災のことを思って書いた曲だそうですね。

震災が起こった時は僕は山口にいたんですけど、東京に出てきて震災の時に福島の近くにいて、実際に大きな被害を受けた方と知り合う機会もあって。ふと、全く知らない街や人々の悲しみが身近に感じられるようになったんです。それで歌を書こうと思いました。
アーティストって自分のことをわかって欲しくて曲を書くのに、人の悲しみを感じれられないなんて、自分勝手じゃないですか。そういう自分自身に対する失望とかも含めて、淡々と歌いたいなと思って作った曲です。

―6月にリリースした「勿忘雨」はタイトル通り“雨”をテーマにした曲になっています。出だしからベースが入ってくる軽快な曲調も新鮮です。

アレンジしてくれた米澤(森人)くんとスタジオに入って制作した曲です。アルバムまでの道筋が少しずつ見えてきていた時期だったので、今までやっていないようなサウンドにも挑戦したいなと思って。初めて女性コーラスも入れて、米澤くんが元々得意としていたローファイなサウンドにトライしてみました。

―リリックはどのようにして出てきましたか?

雨の日ってよく物思いに耽ったりしますよね。でも、頭で考えているだけで実は何も進んでいない。「明日は頑張ろう」とか、そういう意気込みもないまま、なんとなく1日が終わってしまう。そんな雰囲気をリリックで表現できたかなと思っています。

―リリースはされていませんが、3月にネット上で公開した「ラブソング」も大きな反響を呼んでいます。この曲は「青」と同様にシリアスなテーマの1曲ですよね。

この曲は去年の夏くらいにできた曲なんです。自分が電車に乗るタイミングで人身事故が起こったんですけど、その時周りを見渡したら携帯をいじっていたり、イライラしたりしている人ばかりで。何かすごく悲しいなぁって思ったんですよね。ちょうど「おぼせ」書いた時期だったということもあって、そういうことに敏感になっていて。
書いてから1年くらいはライブでもやっていなかったんですけど、コロナで世の中が混乱してきて。こういうタイミングで発表したら、みんなが前を向いてくれるきっかけになるんじゃないかなって思って世に出しました。

―この内容で、「ラブソング」という言葉、そしてタイトルが出てくることが興味深いなと。

テーマが重いだけに、タイトルは簡単な言葉にしたかったんです。色々な人が意味を考えてくれるし、気楽に届いて欲しいというか。

「変わること」を主題とした2曲「東京」「あの頃から」

―9月2日には2曲入りのシングル『東京』がリリースされました。「東京」は音数も少なく、ピアノ・メインなバラード曲ですよね。

歌詞に出てくる「君」は実在の友人で。僕も彼も地方から東京に出てきて、変わった部分もあるし変わってない部分もある。でも、それがお互いに見えづらくなってきたなと感じていて。それが良いことなのか悪いことなのかもわからなくなってきた。こういう感情を簡単な言葉で表現したいなと思いました。
ちょうど自分も変わっていかなければいけないなと考えるタイミングだったので、変化するのは悪いことじゃないって思いつつ、「でも、何か寂しいなぁ」って(笑)。
前へ進むために変化が必要だけど、昔を懐かしむ気持ちも捨てたくない。そう思った時に、街や土地にそれぞれ記憶が残っているから、「大丈夫なんだ」って自分に言い聞かせるというか。僕らの場合はそれが東京だった。

―上野さんが変化を恐れるのには、何か理由が?

単純に過去にしがみついていたいだけだと思います。僕は何か楽しいことがあっても、その当時はあまり楽しいって思えなかったりするんですよ。でも、それが過去になるとすごくいい思い出に変化していくんです。
以前、歳の離れた兄に「昔は一緒にドライブしたりして楽しかったよね。昔に戻りたいよね」って言ったら、「いや、おれは今幸せだから過去に戻りたくないよ」って言われて。すごく悲しかったです(笑)。

―後半でガラッと変わる展開が印象的な「あの頃から」は、リリックも前向きなイメージが伝わってきます。

過去への決別というか、「変わるぞ」っていう気持ちを表現した曲ですね。この曲を書くタイミングで知らない街に引っ越しましたし、今の制作チームにも入った。自分のことを歌いつつ、他の人が聴いた時にも自分を重ねられるような作品にしたいなと考えながら作りました。

―バンド・サウンドを取り入れたことで、前進するようなイメージが湧きます。

最初は淡々としてるけど、途中からバンド・サウンドになって、ボーカルにも感情が入ってくる。何も考えていなかった大学生時代の僕から、ちゃんと考えて変化することを選んだ今の自分を投影できたかなと。

―「青」から配信リリースを始めて、何か手応えを感じていますか?

正直、ずっとわからないっていう感じです。SNSのフォロワーや配信の視聴者数とか、数字が増えても実感はいまいち湧かないんですよね。コロナ禍になってから一回もライブをやってないですし。全然まだまだ不安です。一回どこかで安心させて欲しいなと思っています(笑)。

―アルバムはどのような作品になりそうでしょうか。

色々なことに挑戦しました。全曲通してのコンセプトがあるわけでもなく、全曲違うタイプの作品になると思います。ビックリさせちゃうかもしれないけど、そうじゃないと新しい一歩は踏み出せないと思うし、逆に次の作品は「どんな内容になるんだろう」って思ってもらえるんじゃないかなと。
あと、やっぱり今の制作チームに入れたことがすごく大きくて。このチームと一緒に音楽を続けるために、自分も変わらなければなと思うようになった。リリックも独りよがりじゃないものに変化してきたのはそういう環境による部分が大きいと思います。

―今、「安心させて欲しい」とおっしゃっていましたが、ある程度自分が満たされるような環境に置かれた場合、上野さんが作る曲は変化すると思いますか?

変化しないと思いますね。安心するというのは、「もっと色々なことができる」っていう意味での安心なので。今はどうしても何ができて何ができないのかのボーダーがわからなくて。それが見えてきたら「じゃあ、今度はあれに挑戦してみよう」とか、色々なアイディアが湧いてくると思います。

―曲にするトピックも変わらず?

余裕がない時って自分のことしか見えなくなりがちだと思うんですけど、余裕が出てくると他人の感情や景色に寄り添うことができたりする。そういう意味では、考えなければいけないことが1個減ると、考えられることが1個増えるというか。より豊かな作品になるんじゃないかなと思います。

―このコロナ禍が近いうちに収束すると仮定した場合での、上野さんの目標、願望を教えて下さい。

やっぱり大きい会場で音を鳴らしたいですね。今のチームで、バンド編成でライブをしたいです。ちゃんと足を運んで、自分の体力を削って、疲れて……そういうのも込みで、ライブがやりたいですね。

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